(34)-1創価学会の研究①(創価学会の歩み)

法華経の題目を末法の本尊とする日蓮の思想は、日蓮の著作『本尊問答抄』、『法連抄』、『経王殿御返事』、『草木成仏口決』などに述べられています。これらを総合的に評価すれば伝統的な仏教の思想の本質とは相いれない異質な驚くべき見解であり、大乗仏教として成立する説ではないと考えられます。

今日、このような日蓮の著作を引用する異様な法華経の解釈がインターネット上に氾濫し、人々の正常な宗教批判を妨げています。これらは単なる意見の開陳の限度を超えるもので反社会性のリスクが高いと考えられるものです。
これらのインターネット情報はその記述の内容や論旨から判断すれば、その大半が日蓮の思想に憑依された熱心な日蓮信者の手によるものであり、法華経の理解が著しく歪曲された妄説に覆われたものばかりが目立ち有害といわなければなりません。
この手のインターネットの投稿情報は、創価学会と法華講、顕正会の狂信者が一般民衆を誤認させる意図で行っている悪質なプロパガンダであることが一目瞭然ですが、この手の書き込みには社会防衛上の観点から必要最低限の反論が許容されることは当然です。

創価学会と法華講、顕正会は、日蓮正宗(富士大石寺)の信徒団体ですが、法華講は寺の檀家組織から再組織された日蓮正宗寺院の全信徒が加入する信徒団体です。創価学会、顕正会などの全ての信徒団体は法華講の下部団体です。

創価学会は、1930年(昭和5年)に小学校校長であった初代会長牧口常三郎によって「創価教育学会」として組織され、1945年に「創価学会」に改称しました。1952年に宗教法人の認証を得て、二代会長・戸田城聖によって会員の急速な会員拡大(75万世帯)をして基礎を築きました。

創価学会は、日蓮正宗を外護する目的で宗門の楯となる信徒団体として誕生した歴史があります。
前代未聞の組織的な折伏活動を展開することで宗門に迷惑がかからないように、宗門とは別法人の宗教団体として設立されました。
代々の会長は宗門の指導を受け、法主の信心指導には絶対服従の立場でした。

第三代会長池田大作が今日の巨大組織を作り、1964年には学会内に「公明政治連盟」を作り、1964年に改組して日蓮の『立正安国論』から「王仏冥合」と「仏法民主主義」を基本理念とする政党「公明党」を結成しました。
弱小宗派であった日蓮正宗が巨大教団に変貌できたのは、実に創価学会の未曾有の折伏活動のおかげでした。
富士大石寺は、日蓮系の他派や他宗がうらやむ大伽藍に整備拡充され、末寺の建立ラッシュが続きました。この時は、僧俗一致の麗しい姿だとして関係者は喜びあったのです。

ところが、池田の下で公称800万世帯の会員を擁する巨大教団に成長すると、その組織力と巨大な財力により宗門・寺院に多大な貢献と意見具申をする存在に変貌していきました。いわゆる、大檀那の役割が急速に増加して行くのは自然の流れでした。

顕正会は、1942年(昭和17年)設立された「東京妙信講」を始まりとする法華講の一講中でした。講の結成には日蓮正宗管長、寺院の認証が必要ですので適正手続きを経たものです。
昭和33年に「妙信講」となりましたが、「正本堂」の教義上の位置付けをめぐって本山を巻き込む形で創価学会と対立して法廷闘争などで争い、信徒の除名処分者を出し、宗門の指導に従わなかったことで破門処分となりました。

その発端とは、正本堂の建立に際し、宗門と創価学会が国立戒檀を放棄して、正本堂が日蓮の遺命を達成した証として内外に認めさせようとしたことにありました。
顕正会は、日蓮が遺命した「本門の戒檀」とは「国立戒檀」であり広宣流布が達成された暁に建立すべき本堂のことだから、昭和47年10月建立する「正本堂」(平成10年・宗門が破却)は本門の戒檀ではない、と強硬に抗議し続けたのです。

顕正会の主張は、日蓮原理主義といわれるほど徹底した日蓮至上主義者の立場です。日蓮の御書を原典として忠実に文理解釈するものです。時代の変化や現代的意義に読み替えるという現実的な路線は取りません。創価学会はこれを「平和と文化に対する時代錯誤の極右過激集団」と非難して争いとなりました。

当時、学会と宗門は、創価学会が被告となった法廷闘争「言論妨害出版事件」などで社会の風当たりが厳しい折から、日蓮の遺命である「国立戒檀の建立」という考え方を放棄し、正本堂は実質的には現時点でのご遺命の戒壇にあたるという解釈を示したことに対する激烈な抵抗と反発でした。

顕正会の主張は「日蓮に帰依しなければ日本は必ず滅ぶ」「日本の真の国主は天皇」「広宣流布の暁に天皇の詔勅と国会の議決により、天生ケ原に本門戒壇の大御本尊を安置する国立戒檀を建立する」というものです。

「広宣流布」は日蓮宗各宗派にとっては教義の中核を構成する最重要事項です。日蓮の御書にこの概念の定義が明確に記載されていないところから、その内容が様々に憶測されました。

広宣流布の水準をどの様に見るかについて、日蓮正宗(宗門)は、「日本の総人口の3分の一が純真かつ強盛の信心を持ったとき」とし、創価学会は「信心の血脈を全世界に広げたとき」とします。
顕正会は「すべての日本国民が信者になるか、若しくは、国主たる天皇が帰依したとき」としています。

信徒団体が宗門と異なる見解を述べているところから、僧侶は広宣流布の主体と見られていないことが明白です。しかし、この三者の同床異夢の見解はいずれも現実離れをした妄想でしかなく実現不可能なものというべきです。
客観的な第三者の立場から見れば、日蓮思想に憑依されたオカルト信者は自らを小日蓮に駆り立てる思い込みのが激しさが顕著に現れるので手が付けられません。これ以上はオカルト教義が蔓延することがないように、善良な人々が正常に社会常識の感覚と判断力を働かせて俘囚とならないことを期待したいと思います。

顕正会は、国立戒檀を放棄せず宗門と創価学会を激烈に批判し続けたことにより昭和49年宗門から破門処分を受けました。宗門、創価学会から無視されながらも信念を貫いていますが、弱小団体のままで発展できず、信者を勧誘する強引な折伏が数々の裁判沙汰を起こしています。
昭和57年、「日蓮正宗顕正会」に名称変更し、平成8年に「宗教法人顕正会」と改めました。

創価学会の会長は法華講総講頭に就任し、他の役員も2名が大講頭に就任しました。法華講と創価学会は組織の生い立ちの違いから仲間意識は希薄でしたが、宗門に対する貢献度や実績の違いから、創価学会の発言力が日々に増大する傾向性が現われました。

宗門側は、平成4年に池田会長を破門することにより大量の脱会者が続出することを期待しました。
宗門の固い意志を明らかにするため、池田会長のシンボル化と見られていた「正本堂」を二十数億円の破却費用をかけて取り壊し、これに代わる「奉安堂」を法華講に建立させました。

法華講の浄財集めは40~50億円ともいわれ、第1回目は目標額に届かず難航しましたが、上層部は目標額に達するまで継続的に各寺院の幹部を督励し叱咤激励を続けました。
法華講の上層部は末端寺院の講員の難儀はよくわかっていなかったようです。

建築学上でも卓越した建造物として評価の高い「正本堂」に様々な理由や難癖を付けて取り壊したことは、大勢の信徒の怒りや不満を噴出させました。
この暴挙は、明らかに宗門の大失態でした。「正本堂」の建立は、創価学会以外の多くの信者の一人ひとりが信心の浄財を持ち寄って実現したものでした。
これを無視して池田大作のシンボルと見做し懲罰的に正本堂を取り壊したことは宗門の驕りと暴挙でしかなく、多くの信者の失望を招き信頼を失う結果になったと考えられています。

このような状況の中で、学会側の巧妙な会員の引き締め策が功を奏して、宗門が予想した大量の脱退者が続出しませんでした。
学会側は、会長の破門に対し、阿部日顕法主(管長)の法脈を否定して聖教新聞紙上で宗門批判キャンペーンを大々的に、継続的に展開したのです。
聖教新聞では、日蓮正宗の名称は封印され、「日顕宗」と呼び捨てられることになりました。
宗門と法主の宗教上の指導権は否認され、会員は日蓮正宗の信徒の自覚を喪失していきました。
学会の主張が正当化され、宗門の権威は失墜しました。
会員の宗門批判が噴出して宗門の指導に従わないという思いがけない状況が明白になりました。

戸田第二代会長の頃、昭和31年の聖教新聞には「創価学会は日蓮正宗の法主を宗祖・日蓮大聖人としておつかえ申し上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これが信者の大精神」と宣言し、「今後もこの精神で一貫し、これを破るものは大幹部といえども即座に除名する」と発表された談話は今はどこにもありません。

そこで、平成9年に学会員の全員を破門処分にして本山への参詣を禁止しましたが、一般会員を更に憤慨させる思い上がりの策と見られて、法華講に鞍替えする転向者は少なく、宗門の「破門作戦」のシナリオは失敗に終わりました。

驚くべきことは、宗門に屈しない独自の意思を持った巨大な新興宗教団体が独立したことです。
宗門の教義の縛りや指導力が思った以上に威力を発揮しなかった事実が世間に知られることになったことです。
これで明らかになったことは、血脈付法の法主の精神的な権威は池田大作の力に及ばなかったという衝撃の事実が世間に知られてしまったことです。

針金(ハリガネ)宗の面目は池田一人に丸つぶれにされてしまったことになります。
創価学会は日蓮の血脈相承をよりどころとする宗門よりも、日常の宗教活動で密接な関係にある人々との人間関係を選んだということです。
宗門の日蓮の血脈よりも創価学会の人間関係を選択したことは大変な意味を持つことになります。法主の求心力が失われ、信心の血脈が揺らいだことになります。

これで日蓮の教義を好き勝手に使う池田教が誕生したことになります。ただ宗門には教義差し止めの裁判手続きが可能です。

この結果をうけて、創価学会とその全会員は、日蓮正宗の信徒資格を喪失して日蓮正宗の看板や教義を使用する権利を喪失したことになります。平成5年、宗門は創価学会への本尊下付を停止しました。

しかるに、創価学会は栃木県の浄円寺所蔵の26世日寛が書写した本尊を大量にコピーし、阿部日顕が書写した夥しい創価学会員の各家庭に安置された本尊を回収して焼却処分にして、これ見よがしに取り換えて法主の権威を失墜させました。
被写体にされた本尊は浄円寺住職・日證に授与された一機一縁の常住本尊であり、コピーすることができない性質のものですが、創価学会は授与の由来を示す添え書きを変造して大量のコピーを作成しました。本尊の焼却処分と大量複製は、この宗派ではもっとも重罪と考えられる行為です。
これで池田大作と創価学会には真っ当な信仰心がないことを自ら証明したことになります。

宗門から破門されながら宗門の本尊(コピー)と教義をそのまま使い続けることは客観的には理解できないことです。
日蓮の精神を世間に体現してきた者は創価学会である、との自負心がそうさせているのなら、決して許されることがないものと考えられます。
創価学会こそが日蓮の思想を実践し体現してきた正当な後継者だと考えているのではないか、と関係者は見ています。

宗門・僧侶の仕事は、創価学会では、「典礼部」に従事する者と見做されていました。宗門は広宣流布の主役とは見ていませんでした。池田大作の宗門乗っ取り計画は昭和35年の会長就任から始まっていたと考えられています。
池田大作は、いずれ時の流れの中で、風向きの変わり目を捉えて、信者数と財力にものを言わせて、非力な宗門を抱きかかえて掌握するのではないかと囁かれていますが、不可能としか言いようがありません。信仰心のない池田大作の存命中にはありえないことだと見られています。

昭和49年に作られた映画「人間革命」の主題は、「一人の人間に於ける偉大な人間革命は一国の人間革命を成し遂げ、やがて全世界の人間革命をも可能にする」というものでしたが、この一人とは、池田大作自身のことでした。池田は天下を取るカリスマとなるために小説「人間革命」をとことん利用して絶対的な権力者となって、創価学会を支配し自らの妄想の実現に向かって創価学会を利用し尽くした俗物とみられています。