(33)-6日蓮仏教の研究⑥(日蓮の本尊とその論理性)

仏教の諸尊の姿・形・色・装飾物・所持品などはすべて大乗経典に具体的な記載があるものです。大乗仏教では教典に具体的に記述のない尊形(仏)の創造や像立は一般的に認知されない性質のものです。

サンスクリット文字で尊像を表現する種字曼荼羅は存在しますが、経典の名前や日蓮の名前を本尊とすることは異様です。法華経の題目を本尊とすることは仏身論を基準にすればありえないものです。
しかも、他宗の本尊は偶像で法謗だと教義を刷り込み、他宗の宗教施設の参拝を禁止して信者を抱え込む体質はオカルト宗教そのものというべきです。

日蓮の世界は、日蓮本仏論を基準にしてつくりあげられた特異性の世界です。
伝統的な大乗仏教を基準にすれば、日蓮の世界は驚くべき異色世界であり、もっとも法謗者というべき日蓮の信者が他の大乗仏教の信徒を十把一絡げにして法謗と非難中傷して来たことは驚愕すべき出来事でした。
知らぬこととはいえ、もっとも法謗を犯してきた日蓮信者が、まともな他宗の信徒に対して法謗呼ばわりしてきたことは決して軽い罪ではありません。
日蓮本仏、(日蓮の)法華経が最高と固く信じ込まされてきた日蓮信者には、宗教的情熱の上で現実に犯してきた罪の意識は全くありません。この責任はどこにあるのでしょうか。

日蓮本仏論の論旨は伝統的な仏教理論では理解不能の領域にあります。伝統的な仏身論からみれば異様な論旨に本当に驚きます。これを信者に理解させ、信じさせ、折伏の意欲をかきたて、多数の活動家を育成し、活動家に多数の信者を獲得させた手腕は見事です。
しかしながら、信者をたくさん獲得できたから折伏行為は正当だといえるのでしょうか。
自分の目的を達成するために、親子・家族や友人・知人を手当たり次第に折伏することが本当に信教の自由と言えるのでしょうか。
これには、日蓮崇拝教団の異様な教義を刷り込まれ、日蓮の思想に憑依されて正常な感覚を失い、大乗仏教を客観的に見る視点を喪失してしまった不幸な人間をたくさん作ってきたという現実的な批判があります。

日本の仏教宗派間の対話が進まない理由の一つに鎌倉祖師仏教が信者を抱え込み他宗を否定してきたこと、信者を洗脳して「題目を唱えれば救われる」「折伏は自己の宿命を転換できる行為」であり「人々を救済する慈悲の行為」などと異様な教義をすり込んできたことが挙げられます。

また、問題点としては、経典の解釈においてサンスクリット原典の確認を怠り、中国で編纂された中国仏教を基準にし、更に独特の祖師仏教の解釈をしてきたことです。仏教の原点であるインド的思想はいたるところで元意を改変され喪失しています。
各宗にも咎があります。それぞれが独自の言葉で自宗自派の優位性を好き勝手に宣伝してきた事実がこれです。
共通の言葉、共通の用語、共通の概念、共通の思想で語る努力を怠ったことが、信者の信心姿勢に誤った仏教史観と、間違った価値観を植え付けてきたと考えられます。

大乗仏教を語る共通の言葉や用語とは、例えば『岩波・仏教辞典』、『仏教語辞典』(法蔵館)など学問的、客観的な学問研究の立場で一流の仏教学者が編纂した辞典などに掲載されている「ことば」と解釈論です。例えば、創価学会の信者のために作り、学会内で販売された『仏教哲学大辞典』(創価学会教学部遍、日蓮正宗・宗務院・監修)などを基準とする仏教対話は客観性に欠け失当と考えられます。

伝統的な僧侶の教義解釈の拘束を受けることのない新興宗教の欠点は、経典の全体を理解する努力をせず、文章の前後との整合性を考えることなく、都合のいい一節を切り抜いて自教団に都合のいい言葉や用語を便利に加工して使う傾向性があることです。その結果、信者がその言葉や用語にどれだけの意味内容があるのか知らないままに洗脳され刷り込まれた言葉や用語を正しいものと信じ、あるいは理解不足のままに人々に向けて振り回すことだと考えられます。

日蓮宗は、一向宗(浄土真宗)とは教義の違いから犬猿の仲でしたが、一向宗が農民層を中心に教勢を拡大したのに対し、日蓮宗は有力な商工業者を中心に目覚ましい教勢の拡大を図りました。
15世紀の後半の応仁の乱の頃、京都町民の半数が日蓮宗に帰依したといわれています。
しかし、その弘通方法の中心は「折伏」であり、行き過ぎはただちに取り締まりの対象になる危惧を内包するものでした。

念仏宗の他力本願を否定し激しい攻撃を繰り返した日蓮でしたが、法華経の題目を唱えることが人々の救済になるとして「唱題行」を法華修行の中心としたことは念仏の「専修念仏」と何らか変わることがありません。
ちなみに、院政期頃までは念仏も題目も別れておらず「朝・題目、夕・念仏」という混合が多く行われていました。日々に法華経の題目を唱えながら、死の準備や臨終に臨み阿弥陀如来に極楽浄土に迎えられることを願い念仏が唱えられていました。
法然や親鸞、日蓮の登場によって次第に念仏と題目が分化し純化していくことになりました。

法華経の『提婆達多品第12』には「女人成仏」と「悪人成仏」が説かれていることから、古来より女性に人気のある教典です。日蓮信徒に女性が多いのはこの理由によるものと考えられました。
今日では考えられないことですが、当時は残念なことに、女性の身は穢れ多く法を受けるには相応しくないという社会通念が常識化していたのです。
これと同様に、念仏の『無量寿経』にも阿弥陀仏の万人救済の本願として説かれています。法華や念仏には女性や弱者にやさしい気配りがあり、庶民の支持が高い理由の一つに挙げることができます。

日蓮宗の大きな受難は、次のことなどが知られています。
①1536年の「天文の法難」(天台宗が武力により日蓮宗を弾圧する)
京都の21本山は焼き打ちにあい、しばらくの間立ち直れず衰退した時期がある。
②1538年の「安土宗論」(浄土宗と宗派の優劣や真偽を争い、織田信長の裁定で敗北する。
以後、「折伏」を禁止される。
③1595年、豊臣秀吉主催の千僧供養会に不受不施(僧は法華信者以外から供養を受けず、
信者も日蓮宗以外の僧に施さない)の問題が表面化し、多数派の受派は出仕したが、
不受派は断固反対し出仕せず。その後も態度を変えないことで徳川家康の弾圧を受ける。

法華経は成仏にいたる道筋を論理的には何も語っていません。何故、即身成仏が可能なのか、具体的な道筋は何も示していません。法華経を受持する功徳とその可能性に言及しているだけです。
題目を唱えることで即身成仏するというのは戯論です。鎌倉時代の衆生に対する方便に過ぎません。
同様に、天台の一念三千論は法数を用いて方便的に成仏の可能性を言及しているだけであり、具体的な即身成仏の道筋は何も示していません。

法華経28品のうち25番目の『観音経』は観世音菩薩が33の顔を持って現われ、偉大な仏の力を様々に示すことを詳細に記述した経典です。法華経といえばこの観音経を指すと考えるのが多数の宗派に共通する一般的な認識です。いわゆる観音信仰です。
法華経を常用する他宗派では、法華経は観世音菩薩の称名により現世利益を強調するという形で信仰されてきました。

鳩摩羅什・訳の『妙法蓮華経』(406年)の第25番目に「観音経」が編入されましたが、これは中国に観音信仰が急速に普及さたことの影響を受けて新たに編入されたものと考えられています。
同様に『無量寿経』(252年)や『観無量寿経』(424~442年)、『華厳経』(418~420)等の漢訳に観音信仰が色濃く影響を与えています。

中国の観音信仰は、六朝時代(222~589年)に顕著になり、先祖崇拝や家系存続、極端な男尊女卑などの思想を持つ中国の儒教社会の様々な儒教倫理に悩む人々の不安解消の信仰として積極的に受容されました。220年の後漢末から581年の隋統一までの観音信仰の奇跡的な体験を集めた説話集『観世音応験記』が編集されています。
唐(618~907年)の時代は観音信仰は隆盛し観音の多くの奇跡を語る『法苑珠林』が出版され、清(1616~1912年)の時代には『観音慈林集』や116の奇跡体験談を集めた『観音経持験記』が編集されています。

鳩摩羅什の法華経は、インド社会に生まれたインド思想を濃厚にもつ経典ではなく、中央アジアで興起した大乗の諸菩薩が編集した法華経を翻訳する中で、意識的に中国社会の民族性や価値観を色濃く反映した漢訳になったものと考えられています。
ここでは、観音菩薩が33身の姿(釈尊の化身)に変化して「助けを求める人の願望に応じて現れ救出してくれる」という受け身の現世利益に強調しています。この観音経に33観音のすべてが登場してはいませんが、観音の救済力に期待して、観音菩薩の「女性化」(例えば、慈母観音、白衣観音など)が中国で始まりました。

竺法護・訳の『正法華経』(286年)の観音菩薩は17身で全て男性であり、サンスクリット原典では16身ですべて男性です。
また、ガンダーラの観音菩薩の彫像はそのほとんどが口髭を蓄えていることからインドの観音菩薩は男性であったことが分かります。これらの彫像の表情の優しさから女性的と見えるものもありますが、これは表現・手法と考えられるものです。
しかし、観音は経典によっては男性とも女性とも考えられることから、欧米の研究者の間では観音菩薩はジェンダーフリーの体現者と見られて評価される現象があります。

法華経には様々な役割を持つ菩薩が登場します。①声聞、縁覚、菩薩という三乗の中の一つの菩薩(弥勒、文殊、勢至菩薩)、②三乗を超えた一仏乗の修行者としての菩薩(上行などの地涌菩薩、常不軽菩薩)、③法華経信者の守護者としての菩薩(薬王、妙音、観音、普賢菩薩)などがこれです。いずれの菩薩も法華経では広く大衆を救済することを目指す求道者であり、大乗仏教の修業者として登場し、人々の代表として釈尊に質問したり励まされたりする役割を演じさせられています。

法華経に登場する諸菩薩は求道者の役割に特化されていますが、法華経以外の大乗経典の中では、その役割や行為の尊さが一般的には仏と同じようなもの(特に、弥勒菩薩、普賢菩薩など)と見做されて人々の信仰対象の尊となっています。これらの菩薩の役割の相違点も法華経の特異性であり、法華経の編纂者の意図が見えてきます。

いずれにせよ、日蓮の法華経では、法華経で説かれる諸仏、諸菩薩を信仰する立場をとらず、日蓮を本尊とする曼荼羅以外の諸尊に対する信仰をすべて否定する一派(日蓮正宗、創価学会)が異様な存在感を示しています。

法華経の教主は久遠実成の釈尊(本初仏=宇宙にあるがままに存在する法身仏)と見るのが仏教界の多数説です。
日蓮を末法の教主釈尊であると主張し、日蓮を久遠元初の本仏(根本仏)とする虚構がまことしやかに語られ、日蓮信徒の折伏によってたくさんの人々が囲い込まれて信徒化されてきた事実は何を物語っているのでしょうか。
文底下種説は、まさしく日蓮の妄想による戯論に過ぎません。しかし、よくよく分析してみれば、功徳と脅しをセットにする折伏によって様々な毒語がはなたれたことで自由な精神を抑え込まれ、宗教団体の村社会の中に抱え込まれてきました。
閉鎖的な宗教団体の村社会の中で多数の人々があらゆる機会に日蓮思想を刷り込まれ続けてきたことで、外部の客観的な批判者の声が聞こえなくなるカルト教信者に育て上げられてきたことが考えられます。

改宗を伴う布教方法や宗教の布教活動は、江戸時代まで完全に抑え込まれていました。明治維新後も明治政府によって、国家神道の下での強力な戦時国家体制の構築に支障があるところから、当時の国家権力が意図的に制限していました。
しかし、昭和20年の敗戦による混乱の中で、国家権力から抑え込まれていた宗教団体の布教活動の足枷が解き放たれました。
だからと言って、既存仏教の信者が新興宗教に奪われる現象は、敗戦の混乱期の特徴といえるのでしょうか。
なぜ、新興宗教が第二次大戦後の混乱期の中からいち早く立ち上がり多くの人々を獲得して抱え込むことができたのでしょうか。
さほどまでに既存の仏教が意欲を失い、自信を喪失して人々との関わりを放棄していたのでしょうか。
このような現象の中に布教活動の重大な局面があるのではないかと考えられます。