(13)-1神道とは何か(日本の精神文化の背景①)

神道は日本固有の民族宗教と考えられています。八百万の神々を受け入れる特徴的な民族宗教ですが、その原型はどのような発生起源をもつのでしょうか。

神道とは、仏教伝来以後に仏教と区別するために便宜上で付けられた名称です。その特徴は、万物に霊魂が宿っているという精霊崇拝(アミニズム)や自然信仰から発生した日本民族の伝統的な宗教を言います。神道には仏教のような論理学、倫理学の体系や戒律、行などの体系もありません。

原始神道は、自然や神に対する畏敬の念から始まり、人の生きる道にめざめて人と自然が融和することを目指したと考えられます。原始神道の特徴は、地縁、血縁、などで結ばれた村落や部族の共同体の守護と安楽、共同体意識の統合を目的にする民族宗教といわれていますが、これらは今日的な立ち位置から後付けで説明された概念であろうと考えられます。

神の概念は多様ですが、大いなる存在であること、人智ではとてもうかがい知ることができない存在であること、と考えられました。人の智ではアプローチできない神の道と考えられたことから、一般民衆から見れば、神を祭祀する王や司祭者は特別な人、神に準ずる人、さらに神そのものと考えられたことで王権の民に対する支配権が確立されていったと考えられます。天皇の神聖性は、様々な神話によって特別な崇拝を際立たせることによって完成されたものと考えられます。

古代の神道は、原始神道の精神を継承しなら、興亡する部族、氏族の指導者(もしくは支配者)が共同体の統率の手段として司祭者を置いて神の言葉を聞きこれを共同体の人々に伝え受け入れさせるという支配の手段として機能するようになりました。司祭者の地位が向上し、巫女が配置されて儀礼化が整えられていきました。王権が確立するとともに神社という建築様式が現れるようになりますが、神道(信仰)が支配者の政治的な権威を高める建築様式として機能するようになります。

明治天皇は「日本は神道である。しかし、神道は本来ユダヤ教である」と語られたという伝承があり、皇室のルーツにはユダヤの影が見え隠れしているという史観が語り継がれています。いわく、「皇室専用の部屋には必ず六芒星(ダビデの星)のマークが椅子にも天井にもある」、皇室の祖霊を顕彰し、日本の総合的、統一的祭祀場(神社)としての権威付けのために天照大神を祭神とする「伊勢神宮」を作ったが、「伊勢神宮の燈籠にはダビデの星が刻印されている」「伊勢神宮の莫大な建造費用はユダヤ系の秦氏の貢献に負うものであり、ユダヤの理念と秘儀が幾重にも封印されている」などがこれです。

伊勢神宮は最高の格式を持つ神社と位置付けられていますが、アマテラス祭祀は比較的新しく平安時代以降に成立したものです。万世一系の天皇が統治する世界観を徹底し、本来的には男神であるべき天照大神を女神に変える意図で持統天皇の正統性を主張するために政治的に造られた神社だと考えられます。いわゆる藤原不比等が捏造した宗教革命といわれるものですが、日本書記の伊勢神宮の創建に係わる記述は信頼性がないと考えられます。

本来の古神道によれば、主祭神の天照大神は男性神であったが、持統天皇=女性太陽神=天照大神の同格化という位置づけにこだわった宗教革命の総仕上げが伊勢神宮の創建になったのではないかと考えられています。秦氏が伊勢神宮の莫大な建造費用を支援しましたが、秦氏はユダヤ(原始キリスト教)の男性太陽神を封印したといわれています。

実は秦氏が創建した寺社仏閣、神社は膨大な数です。古代の錚々たる著名な寺社仏閣の大半には秦氏一族の関与があります。秦氏は平安京を設計した国造りの総合プロデユーサであり莫大な費用を負担した陰の施主でもありました。広大な土地を開拓し、養蚕や機織り、酒造を広め、信仰と殖産のフィクサーとなって裏の権力を握った一族です。

秦氏が造った神社・寺院は、京都太秦の広隆寺、京都伏見の稲荷大社、京都石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の松尾大社、四国の金毘羅宮、石川の白山比咩神社、また、京都の上賀茂神社と下賀茂神社は秦氏の姻戚関係にあった賀茂氏の創建です。日本の神道を確立させたのは秦氏であるといわれています。

在位中の天皇の伊勢神宮参拝は明治天皇が初めてでした。歴代の天皇は誰一人として参拝した事実がないとする史観があります。アマテラスは、記紀が最後の政権奪取に成功を収めた政権があたかも連綿と政権を維持し継続して来たかのごとく捏造するために作りだした建国神話の付け足しでしかないことを知っていたこと、記紀が創作したアマテラス神話は捏造の女神であり信頼性がなかったのではないかと考えられます。

ちなみに、弓削の道鏡が宇佐八幡の神官と結託して偽の神託を捏造し、藤原不比等の孫でパトロンの女帝・称徳天皇(718-770)から譲位を受けようとした時、その可否を問う神託を得るために勅使・和気清麻呂が直行したのは伊勢神宮ではなく、九州・大分の宇佐八幡でした。宇佐八幡の神託によって道鏡の譲位は阻まれ、女帝もこの神託を受け入れざるを得なかった事実がありました。

日本古代の創世神はスサノオです。古い神社の祭神はスサノオとオオクニヌシが圧倒的に多く、アマテラスは少数派であり平安以降に受け入れた神社に偏っています。全国の神社を分類すれば、新羅(伽耶)系がほぼ80%の圧倒的多数を占めていることから、日本古代の創世期に活躍した渡来系の人々は圧倒的に新羅(伽耶)系が多いことが分かります。

伊勢神宮の創建は、古代の霊場として尊崇された三輪山(祭神は大物主)の時代に終わり告げさせる目的があったのではないかと考えられる出来事でした。アマテラスの古代創世期の神話や顕彰は、スサノオとオオクニヌシの業績を切り取って付け替えられたものだと考えられています。記紀が常套手段として使った捏造手法と考えられます。

古事記によれば、伊勢神宮の創建は第10代崇神天皇記と第11第垂仁天皇記に伊勢神宮を祀ったとありますが、実在する天皇は第15代の応神天皇が最初とみる史観からは、創建を紀元前にまで遡らせて権威付けしていると考えられています。応神天皇を河内王権の初代天皇とみる有力説があります。古代・葛城王権から政権を奪った崇神天皇から始まった三輪王朝(イリ王朝)が応神天皇から始まる河内王朝(ワケ王朝)と交替して天皇の血脈が変わったとみる立場(三王朝交代説)から見れば古事記説は荒唐無稽な作為にすぎないと考えられます。

日本古代の建国は370~390年頃という推定が考えられます。その根拠は三韓の建国に刺激を受けてのものだと考えます。新羅が356年、百済が346年、加羅(伽耶)が369年の建国であるところから合理的に推定したものです。3世紀から7世紀の間に有力王権の綱引きと興亡が行われ最後の勝者が統一王権を奪取した継体天皇(新王朝=越前王権=現皇室の祖)と考えられます。世界の王家を見ても姓(苗字)がないのは日本の天皇家だけです。姓を隠すことは、その出自を隠すことです。出自を隠す必然性とは一体何かという疑問が残ります。

神道は、社会のまとまりの単位である氏族の地縁、血縁集団の生活習慣の中で生まれた宗教的な信仰態度を引き継ぐ概念であると考えられます。それはまさに精霊崇拝(アミニズム)や自然(山川草木など)信仰、祖霊崇拝など万物に八百万の神々の霊性が宿ると考える信仰態度です。

古神道では神々が鎮座する山や川などの自然領域を「神奈備(かんなび)」として神聖化しました。「かんなび」には神霊が降臨する場所を「依り代(よりしろ)」、降臨した神霊が宿る神聖な物を「御霊代(みたましろ)」といいますが、「物実(ものざね)」ともいい、鏡、剣、玉石などが神社の御神体とされました。特に皇室の三種神器、物部の十種神宝(十種神宝御璽)が有名です。

神の住む山「神奈備(かんなび)」や森などの神聖な場所に置かれた巨岩、巨石の御座所は「磐座(いわくら)」と呼ばれ、樹木の御座所は「神籬(ひもろぎ)」と呼ばれますが、常世(神の世界)と現世(この世の世界)の境界線として機能する装置と考えられるものです。

「神奈備(かんなび)」や「神籬(ひもろぎ)」は神の降臨を仰ぐ「御座所」として崇拝されましたが。古代のシャーマンはこの御座所で神の信託を受け取る行為を荘厳するために霊術や秘術を用い、自己の存在と正当性を大いした者と考えられます。

やがて神道の神々を祭神として祭る建築様式の社殿が生まれ、拝殿や本殿を持つ祭殿が信仰拠点の建物として常設化され「神社」という様式が登場しました。次第に生活の節目や農作物の生育や穫り入れなど重要なタイミングに合わせて祭壇を設けて厳かに祭祀を執行する形式が現れ、日常的な常設の祭場である神社が普及したと考えられます。これが秦氏によって始められたユダヤ的祭祀形態と考えられる様式です。

神社で祭祀されている祭神には①自然事象に由来する自然神、②神話伝説に由来する伝記神・霊能神(天照大神、大国主命など)、③人間に類似した神体や性格を持つ人格神(英雄・功労者、皇祖神、祖先神など)があります。

神道はあらゆるものに霊性を認める多神教の要素を持っています。宗教的な教義体系を持ってはいませんが、仏教との本地垂迹説による神仏混淆を受け入れ、修験道と相互に影響しあうという関係性を濃厚に持ってきました。また一方では、中国の儒学、老荘思想や哲学を受け入れ陰陽道や神仏習合の体系に変化した一面をも併せ持っています。

明治維新によって、天皇を頂点とする国家神道が明治政府の神祇官によって推奨され、日本民族の新しい中央集権国家の形成に利用されましたが、これによって「神国思想」と「神風」に守られた特別の国家観が国民に刷り込まれて浸透しました。敗戦により、国家神道は否定されましたが、伊勢神宮、明治神宮、靖国神社などにはその残滓が残っていると考えられています。神道は古代でも近世・現代でも政治的に利用されてきた負の歴史を濃厚に持っているといっても過言ではありません。国家神道は、原始神道の概念とは根本的に異なる異質なものだったと考えられます。

本来の神道の特徴をいえば、融通無碍であり、自他の宗教の違いに強いこだわりを持つという頑なな態度はありません。一神教のように唯一絶対などという頑迷さはほとんどなく、必要に応じて同時に複数の神々(神社)を礼拝することが日常的に行われています。多神教の優れた一面だと考えられる出来事です。

神道は山岳信仰の修験道と混淆し、天皇の意思によって仏教を受け入れたことで、民族宗教としての論理性や儀式を整備して神道として完成した事実を持っています。神道が他宗教を拒絶する偏狭な思想を持たなかったことで、日本民族の精神の多様性が形成されていった要因であったと考えられます。日本人の精神性に大きな影響を与えた神道の役割には大きな感謝があります。

多神教も一神教も長所が同時に短所になるという二重構造を色濃く持っていることは言うまでもありません。一神教の決定的な欠陥は、相手の宗教を否定しなければならない宿命を背負っていることです。どうにもならないジレンマは教義的に共存共栄の道が閉ざされていることです。一神教と一神教との間には克服できない相克関係が生まれることが避けられません。神道が持つ多神教的な態度は多宗教の信仰態度を否定するよう要素少ない点が長所と考えられますが、造物主思想を持つキリスト教的な思想(イスラム教やユダヤ教も同様ですが)を持つ欧米人に神道思想を理解させるには困難な要素が多分にあることを十分に知らなければなりません。