(24)中期密教の成立過程

インドの仏教が原始仏教から大乗仏教へ、大乗仏教から密教へ展開する過程で仏陀観と仏身観に大きな変革がありました。

ブッダの涅槃後、無仏状態を補うために色身や法身、報身や応身(化身)などが生みだされ、過去仏、未来仏、そして十方三世諸菩薩や釈迦在世にも同時的存在していた辟支仏(独覚)など無数の仏、菩薩が登場する中で、これを大いなる一仏に収斂しようとする動きが生じました。

やがて、大乗仏教の到達点には、真理の世界や仏の世界の本質を雄弁に語り「即身成仏」を説く密教経典(『大日経』・『金剛頂経』など)が現われ「真言密教(東密)」と「天台密教(台密)」が成立しました。

仏教経典は「現世利益」と「成仏」という対立軸が微妙に関係しあいながら構成されています。大乗仏教の出家修行者の目的は最終形としては「解脱」を得ることにあります。しかし、出家修行者といえども日常生活の中には世間的な生活習慣にも現実的な対応が求められます。

大乗仏教の経典の大きな視点の構成は「悔過」「瑜伽」「陀羅尼」にあります。最古の大乗経典の一つ『舎利佛悔過経」には、来世に悪所に生ぜず、善き所に生じたいと願うなら悔過すべきであると説き、十方仏を礼拝して作善をなすならば、豪、貴、富、楽などの現世の利益が与えられると説かれています。奈良・東大寺の二月堂の修二会は悔過法にもとずく除災招福の仏教行事です。

禅定による精神統一は涅槃に入ることを目的とする修行法です。大乗初期の『維摩経』『首楞厳三昧経』『大品般若経』『法華経』『華厳経』には、釈尊をはじめ諸尊の神通力による神変が説かれています。神変は禅定の三昧の結果(瑜伽)として現われるものですが、これが現世利益の期待として付加されることになります。

神通力とともに大乗の菩薩の持つ徳目に陀羅尼があります。陀羅尼は総持ともいい精神統一を意味する概念です。大乗経典には菩薩が陀羅尼と三昧に通じる者として登場し、禅定の精神統一に入って正覚を得ることを求められる存在とされています。

大乗経典には、「正覚を目指し憶持(心に念じ信仰すること)を意味する陀羅尼」と「現世利益を目指す呪文としての陀羅尼(自己の欲望を充足するもの)」が説かれています。

『法華経』の「薬王菩薩本事品第23」や「陀羅尼品第26」などには、経典の受持と陀羅尼の読誦に「真言・陀羅尼を唱えることで神仏の加護を得て災害から免れる功徳を説くなど、他の大乗経典と異なる特色を示しています。

「陀羅尼品第26」では、伝道者に菩薩と諸天部の守護の呪文の力が語られます。法華経にも般若経などの大乗経典と同様に呪文(陀羅尼)の効力が説かれたのです。
ここでは、薬王菩薩と勇施菩薩が人々に護身と幸福の呪文を贈り、毘沙門天、持国天、十羅刹女、鬼子母神の法華守護の諸天部から呪文が贈られます。世尊(釈尊)が法華修行者の守護を命じたという形式をとります。

「普賢菩薩勧発品第28」は、法華経の結びの章です。東方世界から霊鷲山に来臨した普賢菩薩が世尊滅後の法華経を信じる者に救いの手をさしのべることが語られています。
普賢菩薩は、普賢菩薩の唱える呪文を聴く者は法華経を保って永遠に苦を脱することができることを世尊に誓います。
ここでは、普賢菩薩の救いの福音は呪文(陀羅尼)によって語られました。
法華経の信者は、世尊滅後には普賢菩薩の呪文によって救われることが語られ,霊鷲山に参集した多くの聴衆は歓喜に包まれ、神々も精霊も全ての生き物が歓喜しました。

陀羅尼は総持や能持と意訳されてきたものです。古来より仏や菩薩、神々の威力が込められた聖句としてその意味を訳すことは禁じられましたが、短い言葉に宇宙の真理が集約されていると考えられてきました。
宇宙の創造は波動(ゆらぎ)から始まり、人の耳に聞こえなくとも全ての波動の始まりは運動と音であり、すべての存在には音が伴うと認識されてきました。
人の祈りが陀羅尼となり、日本では「ことば」の霊力を言霊(ことだま)といい、古代から荒ぶる御霊(みたま)を鎮撫して五穀豊穣を祈る祭式などに用いられました。古代インドでは魔除け、災難よけ、毒蛇よけなどの除災招福や深い祈りから密教の陀羅尼として発展しています。

『般若経』では、般若波羅密多の智慧の持つ呪力によって、教典を受持し、読誦し、書写した結果、様々な災害から身を護ることができると説かれました。般若経は大乗経典の中でもっとも膨大な経典(600巻)として知られていいます。

大乗仏教の菩薩の修行は「波羅密門の修行」でした。『般若経』では、自らの心の本源は本来清浄で輝くものであるが、これが様々な分別によって覆われているので、覆いを取り除くことが修行の肝要でした。
六波羅密(①布施、②持戒、③忍辱、④精進、⑤禅定、⑥智慧)や⑦方便、⑧願、⑨力、⑩智の十波羅密のそれぞれの徳目を完成して仏の位に至るとされました。菩薩の誓願の求道心の力強さと菩提心の自己発現の力がこれを乗り越える力になると考えられたのです。

般若心経は般若経600巻のエッセンスを262文字で表現する経典です。般若心経の原型はインドで3世紀頃に成立しましたが、各宗派で読まれているものは玄奘三蔵の漢訳本です。
この経の説かれた舞台は法華経と同じ霊鷲山ですが、瞑想中の釈迦が作り出した対話を、釈迦の胸中の意を汲んだ観自在菩薩(観音)が舎利子(舎利弗)に向かって仏教の真髄を説くという形式をとっています。

般若心経は、菩薩が求めて止まない悟りの境地(真実の道)に至るヴィジョンを示すもので、悟りは般若波羅蜜多(このうえない智慧の完成)を求める心に在ることを示します。
精神を統一して心身の五感を正常に働かせて心を覆うものを取り除けば、閉ざされて逃げ場がないという感覚(時間、空間に縛られ、世間のありとあらゆる習慣や固定観念などに縛られること)を持つことなく恐怖なども生まれることがない。ゆえに実在するものは何もなく(五蘊皆空)、束縛と見えたものは心が生み出した幻影であることが理解できると考えます。

ゆえに、究極の真実を求めるなら真実の祈りの言葉=マントラ(真言)を唱え、偽りのない真実の言葉で祈らなければなりません。密教では、真言は特定の儀礼や瞑想修業の場で師から弟子に伝授される言葉であり、象徴的、かつ聖なる言葉です。これを繰り返し唱えることで修行者の人格を調和的に揺さぶり、さらに高次元の体験へと昇華させる祈りの言葉でもあります。
智慧の完成は、全方位に見渡せる展望が効く状況の現出であり、完璧な目覚めに導くものです。般若心経は262文字の中に仏教の真髄を説き、真実の祈りの言葉「真言」を説いたお経です。密教への導入部に位置づけられる経典であると考えられています。

『般若経』以来、菩薩の智慧と慈悲を完成するための「菩薩行」は大乗の核心です。龍樹は『菩提心論』において、三摩地の菩提心を真言門の特質として捉えました。
三摩地とは、本有の仏性は煩悩に覆われて覚知しないから精神統一して覆いを除き普賢の大菩提心に至ることですが、真言行者の三摩地の菩提心の実践のありようは、月輪観や阿字観、五相成身観などの瞑想法として捉えられています。

『華厳経』は三つの先駆経典「十地品」「如来生起品」「入法界品」を取り入れて成立した教典です。その特徴は、①一切の現象は心が作り出したものと説き、②一切の衆生は仏の智慧を備えている(性具説)と説き、③菩薩の修業の階梯を示している経典です。
大乗の波羅密門の修行階梯を典型的に整理して述べていますが、この最終段階で如来の活動が「身、口、意の三業」として説かれ、三業の働きの秘密性が「如来の秘密の境位」として十種(身体の秘密、言葉の秘密、心の秘密、思量する秘密など)列挙し、如来と如来の後を継ぐ者との共通の通過点を灌頂という儀礼に託して描いています。

『法華経』の「普賢菩薩勧発品第28」に法華経を信じる者には普賢菩薩が救いの手をさしのべるとありますが、同様に、『華厳経』には「普賢菩薩行願讃」があります。その内容は①普賢菩薩があらゆる仏を賛嘆し人々に奉仕することを誓うという内容と、②釈尊を賛嘆しながらも阿弥陀如来に対する賛嘆の詩句がつづられたものです。
「普賢菩薩行願讃」の詩句は華厳思想を信奉する人々の中で複雑な変遷と発展を遂げながら華厳経に編入されたものと考えられていますが、「普賢菩薩行願讃」は東アジア諸国で広く信奉されています。
中国・朝鮮では「華厳思想」を体現するものとして信奉されましたが、日本では阿弥陀如来を讃える浄土思想を勧めるものとして源信僧都や法然に尊重されました。日本の大乗仏教に与えた影響は甚大です。

『華厳経』の毘盧遮那仏、密教の『大日如来』が空を体現する根源的に唯一の本初仏として成立しました。このとき、全ての仏・菩薩は毘盧遮那仏(大日如来)の放射としての顕現に過ぎないという観念が成立したのです。

『華厳経』は釈迦の悟りの内容をそのまま示す経典として著名です。難解な仏教の教理を具体的に述べていますが、要約すれば「悟りとは何か」「成仏するには何が必要か」「ブッダ(仏)とは何か」「人は菩薩としてどのように生きるべきか」「菩薩の精神的な悟りの階梯とは何か」などです。
しかし、華厳は「有教無観」と評価される通り、精緻な大乗教理を持ちながらもそれを悟りに押し上げる具体的な観法を持ちませんでした。

華厳経において、真言密教の菩提心の概念がほぼ完成されたと考えられています。ただし、顕教の華厳が「波羅蜜門(三劫成仏)」を説くのに対し真言密教では「真言門(即身成仏)」を説く違いがあります。

また顕教の華厳経では修業中の利他行から大悲・慈悲が出てくる(因位からの菩提心)が、真言密教では修業の出発点となる菩提心に大悲・慈悲が当然に含まれるが、仏の境界に入って初めて顕現する(果位からの菩提心または三摩地の菩提心)と見る違いがあります。

この観点から、華厳の教理体系は大乗仏教中で最も高い水準を示す密教の導入部として空海から高い評価をうけ、法相や天台の教理の上に位置づけられています。

インドでは、大乗仏教と密教が個別の教団を組織していた形跡はありません。密教は大乗仏教の教団内部で発生し進化したものです。4世紀頃から、大乗仏教はタントリズム台頭の影響を受け入れて次第に変貌していき、6世紀以降には本来の仏教教団に存在しない傾向をいくつも併せ持つようになります。
また、初期の大乗仏教の中には、禅定の憶持を意味した陀羅尼も呪句に変容し現世利益を期待する多くの陀羅尼を生みだす源泉になっていたと考えられています。
大乗仏教の中に密教を展開する何らかの萌芽を認められるのは4世紀頃と考えられています(「大乗仏教における密教の形成」松長有慶)。

6世紀後半には、「息災」「増益」「調伏」というヴェーダの儀礼が密教の護摩法として取り入れられ、密教儀礼として経典の中で表面化します。

『大日経』は、思想面では大乗仏教思想(『般若経など)を深化し、実践面において「三密瑜伽行」を構築しました。心の問題を主題として取り上げ、中観(瑜伽行中観)思想を基盤とする理解を加えています。
また、成仏を目的とする宗教理念を明し、その手段として印契と陀羅尼に三摩地(心)を加え身語心の三密を一体化する三密瑜伽行の観法をはじめて説きました。

『真実摂教』(金剛頂経)は、ヒンズーの儀礼の影響を排して、大悲心に基づく衆生救済を目的とする密教儀礼に転化させ、内容と外観ともに密教独自の形態を持ち、体系化された思想に裏付けられた密教儀礼に構成されています。

『理趣経』は、大乗仏教の代表的な経典である『般若経』の空の思想を更に積極的に展開させ密教経典化したものです。ここでは、大乗仏教の「経典受持の功徳」は、「執金剛位の獲得」という密教的なものに変わります。
『理趣経』(不空訳)は、大乗経典と同様に、「序文」「正宗分」「流通分」の三分からなり、正宗分は17段に構成されていますが、各段にはそれぞれの教主の具体的な悟りの内容が開示されています。
各段の教主は「仏身観の密教化」によるものですが、その悟りの内容は種字(一字の呪字)で凝縮形として表されています。
種字は経典が示す思想内容の凝縮形と考えられるようになりました。各段の終わりにはその経典部分の「得益」が掲げられています。