(23)密教の再評価(包摂性と純化)

ヒンドゥー教は、バラモン教からヴェーダ聖典やカースト制度を引き継ぎ、非アーリア系の様々な土着の神々や崇拝様式を吸収して自然に成立した多神教です。
ヒンドゥー教は、紀元前5-4世紀頃より顕在化し始め、紀元後4-5世紀には当時の優勢の勢力を持っていた仏教を凌ぐようになります。

バラモン教はインドを支配するアーリア人の祭司階級(バラモン)が興した宗教です。祭儀を特徴的に司る宗教ですが、ジャイナ教や仏教から支配者の宗教であることを批判され変貌を余儀なくされました。
インド各地の先住民族の土着宗教とバラモン教を吸収して同化し形を変えながらインドの民族宗教として興起した宗教がとヒンドゥー教です。ヒンドゥー教はバラモン教の全てを吸収した民族宗教です。

ヒンドゥー教は、始まりもなく、教祖も存在せず、地域や所属集団によって多彩な信仰形態をもつ全インド教です。仏教もジャイナ教もヒンドゥー教の一派と見られます。インドで生まれた全ての宗教はヒンドゥー教と見做されますがその範囲は非常に曖昧です。
仏教とヒンドゥー教は、ほぼ同時代に人々の信仰を競ったライバルでしたが、仏教にはヒンドゥー教の持つ様々な思想と相いれないアンチテーゼをもって成立した側面がありました。.

仏教はカースト制度を否定する思想を持っています。
カースト制度はアーリア人のバラモン教が考えた思想によって形成された制度ですが、神々に対する祈りの信仰だけでなく「輪廻」、「解脱」という独特の概念を持っています。

カースト制度は、人々の生活様式を最終目標の解脱に向かう四住期(①学生期、②家住期、③林住期、④遊行期)と、身分(ヴァルナ)、職業(ジャティ)を含むカースト制からなるものです。四住期は最下層のシュードラと女性には適用されません。また、実際の庶民感覚では、身分の差別よりも同一職業内の上下関係の差別の方が一層の強いストレスと厳しさを感じさせていると言われています。

インド人が持つ人生の四大目的(①アルタ(実利・蓄財)、②カーマ(性愛)、③ダルマ(正義)、④モークシャ(解脱)もカースト制の中で生まれたインド独特の価値観です。

行為の結果としての「業(カルマ)」と「輪廻(サンサーラ)」の思想がヒンドゥー教の特徴ですが、この原理は因果応報の思想としてインドに定着し仏教にも大きな影響を与えました。
業による輪廻転生はヴェーダ時代からウパニシヤード時代にかけて輪廻思想として固定観念化されインド人の死生観・世界観を形成しました。
信心と業(行為の結果)によって次(来世)のカーストの階層が定まるとするこの思想では、生き物は行為を超越する段階に入らなければ永遠に生まれ変わり、前世の業を背負うことになります。

ヒンドゥー教やバラモンの神々は日本の仏教(特に密教の天部の諸天神)に幅広く取り入れて仏教的に変容し、さまざまな諸尊として独特の役割と機能(働き)を期待されて祈りの対象となり人々に大きな影響を与えて来ました。
天部の諸天善神は第一に「護法神」としの性格です。仏法や仏法を信仰する人々を妨げる外敵から守る働きを期待されました。第二は「福徳神」として信仰者から現世利益を期待されました。
仏教は、ヒンドゥー教やバラモンの神々を信仰する人々の信仰姿勢を排斥することなく、仏教の信者として取り組みました。仏教ではこれらの神々を一括して天部の神々の尊称を与えて、これらを信仰する人々を仏教の中に包摂したのです。

仏教に包摂された諸天善神は、ブラフマー(梵天)、ビィシュヌ(帝釈天)、クラシュミー (吉祥天)、マハカーラ(大黒天)、サラスヴァティ(弁財天)、ガネーシャ(歓喜天または聖天)、インドラ(帝釈天)、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)、ヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)、ヴァジュラダラ(執金剛神・仁王)、ダーキニー(茶吉尼天・稲荷明神)、スカンダ(韋駄天)、ハーリーティー(訶梨帝母・鬼子母神)、マリーチ(摩利支天)、ヤマ(閻魔大王)、アスラ(阿修羅)、ヤクシャ(夜叉)、伎芸天、十二天、十二神将(薬師如来の眷属)、八部衆、二十八部衆(千手観音の守護神)、十六善神など多数があります。

インドでは、バラモン教の宗教儀礼やヒンドゥー教の様々な民間信仰が混交し、大乗仏教に影響を与え、仏教経典には儀礼的、呪術的な要素や神秘主義的な色彩が濃厚に現われることになりました。
大乗仏教は、その成立の当初からこのような要素を自然に受け入れるインド的社会事情があったのです。

仏教経典に編入された宗教儀礼や神話、呪術や神秘思想が本来の仏教が持っていなかったものだとして密教的要素を仏教史から除外する手法をとる研究者がいますが、これらの大部分は鎌倉新仏教の教説の流れに乗っている人々の論だと考えられます。
なぜならば、仏教研究の中心を形成してきた天台宗、真言宗や南都六宗からこのような論を展開する人々は例外的だと考えられるからです。

実は、密教の呪術的な性格は、インドの宗教全般に共通する性格です。その象徴的な性格は思想内容の簡明な表現方法であり、民衆の救済や教団の拡大に欠かせない要素であったと考えられます。
密教のもつ哲学、論理学、宗教儀礼、宗教形態はインドの汎用的な宗教と文化の基盤であると考えられるものです。

密教がもつ複合的な性格は、過去の研究者の眼に雑多、不可解などの複雑な印象を与えた時期がありました。
密教は、ヒンドゥー化した仏教との厳しい評価がありましたが、実はこの複合的な性格こそが原始仏教、大乗仏教を生んだインドの諸宗教の哲学や儀礼、世界観の集約された表現形式であり、仏教の基本的な性格を踏まえたものであったことが次第に解かってきました。
今日、密教は大乗仏教の発展に伴う必然的な帰結として、仏教史の中に重要な意味を持つようになってきていると考えられます。

密教の説く現実肯定の思想は、無知若しくは研究不足の故にしばしば淫猥、快楽主義の汚名を着せられ、烙印を押す者がいたことは事実として受け止めなければなりません。。
密教の複合性から生みだされる個性尊重の思想は、今日の激動の世界の新しい思想的な指標として見直されるようになってきたのではないかと考えられます。

注)この章の多くは「松長有慶著・密教の歴史(サーラ叢書19)・平楽寺書店」を参照し引用させていただきました。