(16)仏教思想が庶民に受け入れられた諸事情の考察

日本の仏教は、本場インド仏教が直接に輸入されたものではなく、いわゆる北伝の大乗仏教、しかも、中国経由で伝承されたという事実があります。
中国仏教の特徴は、インド思想の仏教経典を翻訳する段階で、中国に定着していた儒教・道教など中国思想との整合性に適合するように書き改められたという特異性があります。中国仏教はインド仏教をそのまま受け入れたものではありません。

 日本仏教は、当時の先進国であった中国の思想を手本として積極的に受容する価値観に覆われていました。日本では、このような事情を知ることなく、疑いを持つことなく中国仏教典を受け入れてきた事実があります。
日本の仏教各宗派の殆どがこのような中国仏教思想を手本として受け入れ、中国の解釈を基準として日本仏教を形成し発展させてきた歴史的事実を知らなければなりません。

6世紀の日本に伝来した仏教は、まず朝廷や貴族に受け入れられました。仏教の鎮護国家の思想が為政者に受け入れられ政治的な利用目的に重宝されました。

仏教の普及が進むのは奈良時代になってからのことです。奈良時代には、仏教は日本古来の神道と結びつき「神仏習合」の風習が発生しました。この風習は1000年以上も民衆の間に広く浸透しました。

天皇や皇族、貴族層など上級の支配層に期待されて抱え込まれた仏教の諸機能は、戦後の教科書などで、いわゆる「貴族仏教」という庶民性を否定する名称を付けられて差別化されるという扱いを意図的に受けました。仏教が庶民感覚からはほど遠い存在であったとする評価の表れだと考えられます。

仏教の本質には貴族と庶民の差別化はありません。しかし、仏教の保護と育成には膨大な国家予算が投入されてきたことは事実です。これに係わった主役が天皇や貴族、上級武士(領主層)であったことも事実です。
これらの支配層は、教養もあり思索能力が比較的に高い階層を形成しています。しかし、その生きざまにおいてさまざまな諸事情を抱え込み、後生善処を強く願い、死後の世界に無関心ではいられない人々でもあります。
識字率が低く財力の乏しい無力な庶民が新思想の仏教を受け入れ宣教する主体になれなかったことも事実です。しかし、だからといって、仏教が貴族の所有物であったとは言えません。仏教の本質には、王侯貴族の所有物にできる道理がありません。

キリスト教も、イスラム教も庶民の手によって世界宗教に成長したという歴史的な事実はありません。世界宗教は、紛れもなく強力な軍事力、経済力、政治力を所持する王侯貴族の意図と庇護のもとで独善的に布教されてきた歴史事実に覆われているという側面があります。

しかし、これらは世界宗教が王権を正当化し、また庶民の統治を正当化する政治的な手段として利用された側面があったという事実を述べているに過ぎません。一方では教団側には、教団を経済的に安定させる手段として、効率的な布教活動に専念できる社会環境を形成できるメリットを積極的に利用したものと考えられます。しかしながら、僧の出家の動機にはこのような政治的な観点は全くありません。真面目な出家者が宗教に求めた本質は、普遍的な「真理の探究」「自身の探究」にあったと考えられます。

別の言い方をすれば、「自身の魂の救済を求める者」「世の為、人の為に真理を求める者」「生き方、死に方を良師に学び求める者」「家庭環境の要請に応えなければならない職業後継者」など様々な動機が考えられますが、出家者の一人一人が生きてきた生活環境の中の出来事に影響を受けた側面を濃厚に持っているものと考えられます。

宗教には、さまざまな学問、価値観を俯瞰する統合的な機能があります。修行中は一般社会から隔離される独特の環境に身を置かなければなりませんが、良師の指導を受ける僧院の伝統的な修行法が僧の人格形成に大きく関わる体験を積ませることになります。とはいえ、実際には僧の評価は個人の資質や能力、努力の結果が大きく反映されたものになることは致し方ありません。宗教との向き合い方が違えば、宗教者の行動にも違いが出てきます。

それでは庶民の仏教とは何を意味するものでしょうか。これを端的に表現すれば、仏教の庶民化とは、いわゆる、鎮魂と冥福を説く「葬式仏教」化を意味するものと考えられます。
一般的に葬式仏教の名称は伝統の仏教教団を批判したり貶める用語として用いられることが通例ですが、これは、仏教の僧侶の業務の中心が「葬式や先祖供養」になっていると見る庶民感覚からの見方であろうと考えられます。この見方からは、僧が、庶民から法外な謝礼を取っているという風評に乗り、僧がぼろ儲けしているという認識が拡散されて広まり、真実性がない事例までも含めて一括して批判の対象になったものであろうと考えられます。

「鎮魂」と「冥福」は僧侶に求められた特徴的な機能です。王侯貴族にも庶民にも期待された仏教の第一の機能は死者の供養でした。これは、死者の魂だけでなく、残った遺族の精神をも安らげる機能が期待された概念です。
鎮魂は死者の魂が祟ることを恐れ、荒ぶる魂の鎮まることを期待するものですが、同時に自分のために祈る気持ちが込められています。
冥福は死者の冥界(死後の世界、あの世)での幸福を祈る追善供養(その儀式は「供養」と「回向」)を期待するものです。

鎮魂と冥福のためにもっとも効果が期待されたのは造像や写経のほかに「受戒」が挙げられました。受戒によって与えられるものが「戒名」です。受戒によって死者は冥途での修業の目標を与えられ、長い時間を迷うことなく修業して鎮魂し、冥福を得ることができると考えられたのです。
残された遺族が死者のために戒名を付けて冥福を祈る風習はこのような考えのもとで人々に浸透していったものと考えられます。しかし、庶民の生活が豊かになると、宗門や寺院に何らの貢献をしてこなかった人々が、高位の戒名を買い求め、先祖の戒名までもを金銭で買い取って高位の戒名に改める(追修)ことまで願い出る者が出現してきました。高位の戒名は、死者が生前に積んできた善行や寺院に対する奉仕などの積み重ねを賞して付けられるものです。戒名は死者の生前の社会的地位や名誉を評価するものではありません。

世界の宗教は、まず死への恐怖を慰撫する目的で、死後の世界での魂の幸福(冥福)を得る方法を示すために、現世で何をしなければならないか、また、何をしてはならないかを明らかにして現世での人生の目標を様々に語ってきました。
宗教が哲学や道徳とは異なるこれらの機能を求められ続けるのであれば、葬式仏教と蔑視する者がいようとも「鎮魂」と「冥福」(その儀式が「供養」と「回向」)を求める人々のために、僧は自信を持って積極的に葬式に関わり続ける必然性があるのではないかと考えます。

しかしながら、「供養」と「回向」は実務経験を重ねた僧であれば、人々が求める一定の期待に応えることが可能ですが、「鎮魂」は僧の素質や能力を基本とする修行の成果がなければできない性質のものです。いうなれば、僧の評価は人々から期待される「鎮魂」を可能にする仏力、法力、加持力のありようが納得させられるかどうかということです。「鎮魂」とは「マイナスの極に沈んでいる霊魂をプラスマイナスゼロにすること」、更に、プラスマイナスゼロからプラスに持っていくのが「供養」であると説明した人(第一生命経済研究所主任研究員・小谷みどり氏)がいますが、分り易く、的を得た表現だと考えられます。

東日本大震災のとき、仏教教団の各宗派からボランティァ活動に参加した僧が直面したのは「鎮魂」を納得させられる力がないことに気づたことでした。突然の震災によって命を失った人はなぜ自分が死ななければならなかったのかを受け入れる状態ではないと考えられます。運よく生き残った家族は自分だけ生き残ったことに贖罪を感じてばかりで、立ち直れない人々があまりにも多すぎました。ありきたりの慰めの言葉を口にするだけでは納得させられない重い雰囲気に言葉を失い、無力感を味わったということです。

このような生きる目標を一時的に喪失する悲惨な状況は、広島、長崎の原爆投下や阪神淡路大震災でも同様でしたが、受け入れられない激変の世界に直面すると、人は傲然自失の状態から立ち直れるきっかけを掴むことができません。

「鎮魂」は突然の死が受け入れられない死者の魂を深いマイナスの極から少なくともニュトラルの状態まで引き上げる力がなくてはなりません。そのうえで「冥福」の祈りが届くありようを保ちながら、死者の魂が安らぎ、遺族が納得する「供養」と「回向」に移っていきます。しかし、これは言葉の説明にすぎません。実際には、僧自身に修行によって得られる霊的な力がなければ、関係者が納得する状態で法要を進行させることはできません。この瞬間を考えれば、宗教は哲学や思想では語れない霊的な要素を多分に持っていることは間違いのない事実です。ことばだけでは悲しみのどん底にいる人々を救えない事実を身を持って体験したことで、僧としての修行のあるべき姿を見つめ直す契機になったものと考えられます。

葬式仏教を非難する古典的な見解は、実は仏教の創始者である釈迦自身の葬式に係わる次のような出来事に起因するものでした。この説の大半は、主として戦後に急成長した新興宗教の立場から既存寺院仏教を非難する手法として便利に利用されてきたものと考えられます。

葬儀については、『涅槃経』第九節に、アーナンダ(阿難)の質問に対して仏陀の考え方が次のように述べられています。
「尊師よ、われわれは、如来の遺体にどう対処したらいいのでしょうか」「アーナンダよ、君たちは、如来の遺体に従事しないことだ。どうか、きみたちは、アーナンダよ、自分のことに励みなさい。自分のことに努めなさい。自分のことに不放逸に、熱心に、精励していなさい。アーナンダよ、如来に信服した王族身分の賢者も、バラモン身分の賢者も、居士身分の賢者もいる。かれらが如来の遺体供養をするだろう」と。

この一文は今日の仏教と葬儀との関わりを考える基本資料であるといわれているものです。この文を文字どおりに解釈すれば、僧侶は葬儀に関わらなくてもよい(僧は適任者ではないのか)。なぜなら、葬儀は信者である王族、バラモン、居士などの有志が行うから(費用のかかる葬儀は資力や指導力があるこれらの人々が適任なのか)ということであろうか。修行した僧侶の葬儀の執行を否定してまで、まさか素人の葬儀執行に委ねるということなのか?、との疑いが生じる道理上では考えられない釈迦の真意は一体なんであったであろうか。

この文は、仏陀が「仏陀自身の葬儀」について仏弟子のアーナンダに説いたもので、葬儀の対象者が正等覚者であり如来である仏陀を前提にするものから特別のケースであると解釈することが可能です。修行者や在家信徒の葬儀に関するものではありません。「何かの事情があるがゆえに、いまは葬儀に関わらなくともよい」なのか「葬儀は僧の仕事ではない、だから、今後も関わるな」ということなのか不明です。
弟子の僧が行う葬儀よりも、王族などが行う葬儀のほうが荘厳で仏教宣布の効果は大きいとも考えられます。

この文を根拠として、もともと仏教の僧侶は葬儀と直接的な関係は無かったと主張する解説書がでてきましたが、これは葬式仏教を批判する立場に見られる態度です。仏陀の言葉は重い。戒律のすべてを仏陀が定めた、とする立場では、むやみに疑問を呈したり、その心を推し量るべきではないかもしれません。しかし、僧の葬儀の関与を否定しなければならないほど本質的なものであるのかどうかの思索が欠落した態度だと考えられます。この説には、誰かの解説書をネタ本にして疑うことなく受け入れた瑕疵があると考えられます。

それは、インド社会の特殊性として知られた「カースト制度」の足枷として機能していた厳しい職業制度「バァルナ・ジャーティ制」の視点が欠落していたことです。ブッダが仏教教団をカースト制度から護ろうとした決意を見落としていたことです。

実は、ブッダの葬儀には弟子がかかわっていたのです。ブッダがアーナンダにおまえは葬儀にかかわるなと命じたのは、アーナンダがまだ修行が足りず未熟だったので葬儀にかかわるなと命じたのではないかという考え方があったのです。その証拠は、ブッダの葬儀ときに、葬儀専門の人たちが火をつけようとしたのですが、何度やっても火をつけることができませんでした。そこでマハーカッサパ(大迦葉)が点火したら燃え上がりました。これでマハーカッサパがこの葬儀を仕切ったといってもよかったのです。(「お坊さんのための仏教入門」、正木晃・著、春秋社、2013年)

但し、仏弟子には制限がありました。僧は出家者の葬儀にかかわることができましたが、在家者の葬儀には係われませんでした。その理由は、葬儀の執行には専門のカーストの職業者が存在していたからです。これを無視して葬儀を行えば、葬儀を行った僧は葬儀専門の職業者のカースト(バァルナ・ジャーティ制)に組み込まれる危険性がありました。僧に在家者の葬儀を禁止したのは、インドのカースト制度の縛りから仏教教団を護るためだったと考えらえます。ゆえに、日本にはインドのようなカースト制度がないことは自明の理であるところから、僧の葬儀を否定する根拠は全くありません。釈迦の言葉は僧の葬儀を否定する曲解に使われてきた側面があったことは遺憾な出来事でした。

今日、宗門との対立で破門され、僧侶の指導・関与を否定しいる新興宗教団体が「友人葬」の名目で、学会内に専門の典礼部もどきの組織をつくり、素人会員に地域の創価学会・会員の葬儀の全般を取り仕切らせていることが広く知られています。その始まりは、前述の釈迦の言葉を奇貨として曲解し、敵対する宗門を兵糧攻めにする目的で会員に僧侶の関与を拒否させるプロパガンダとして便利に使われたものであろうと考えられています。

釈迦の直弟子を自認するプライドの高いテラワーダ仏教(上座部仏教、過去にはこれを小乗教と表示しましたが差別用語と考える学者は使用しない)の僧は、現代では積極的にかかわる傾向性があります。スリランカー、タイ、ミャンマーでは戒律で禁止されているはずの在家信者の葬儀にかかわっているのは、カースト制度がないからだと考えられます。しかし、葬儀の際には悪魔がつかないように「パリッタ(真言、陀羅尼)」という呪文を盛んに唱えています。テラワーダ仏教ではこの「パリッタ」を用いる宗教儀礼が盛んに行われています。上座部仏教は呪術を否定していると信じている人がいますが、それは捏造された神話です。実際には相当に呪術的であると考えられます。

仏教教団の存在理由は「悟りをもとめること」「ブッダの教えを後世に忠実に伝えること(上求菩提、下化衆生)」です。これが僧の仕事です。この意味で仏教教団は「福田(ふくでん)」に位置付けられました。一般の仏教信者は、教団(僧)にお布施することで、その教団に福徳や功徳などの宗教的な利得を積むことになるので、お布施した人は、そのお布施がやがて功徳や回向になる、という考えが「福田(ふくでん)」の機能です。

この「福田(ふくでん)」の機能は、日本の仏教界ではあまり言及されることがありませんが、チベットやネパールでは言及されています。ここでは、菩提寺を荘厳にすることに無上の喜びを感じる心があるようです。寺は誰のものでもなく、自分たちのものという感覚を持ち続けていると考えられます。

奈良の南都六宗(華厳・法相・律・三論・成実・倶舎の各宗)の僧侶は、今日でも葬儀に関わらないという興味深い事実があります。僧侶自身の葬儀は実家の檀家寺院の僧侶に依頼してきた事実です。この伝統は1200年以上を遡る古いものですが、それでも、僧侶の葬儀を僧侶以外の在家の篤志家や有志に委ねるということはありません。

大乗仏教の立場からみれば、宗派の戒律になんらのさわりが無く、社会通念上の伝統的な公序良俗の中で、檀家のニーズに応えてきた信頼の範疇にある葬儀はなんらの批判の対象となるものではりません。
今日の社会では僧の葬儀の関与を否認することは不可能であるといわなければなりませんが、他方では、葬儀に関わる僧の謝礼など(特に戒名代)が法外であるとの批判には答えていく責任があるのではないかと考えます。

仏教葬儀について、文献上でもっとも古い仏式葬儀といわれるものは756年の聖武天皇の葬儀であるとするのが多数説です。

日本の葬儀の歴史をみれば、僧侶が社会の一般大衆である人々の葬儀に積極的に関わり始めたのは、1614年のキリスト教の排斥を発端とする徳川幕府の宗教政策(寺請制度)と、1638年頃に全国的に普及し完成をみた寺檀制度によるものでした。
これによって一般庶民も檀家制度に組み込まれる社会体制が確立し、葬儀や法要が寺院や僧侶の重要な役割となりました。これに従い、檀家は最大の経済的な支えになり、過去帳が寺宝になったことは知られた事実です。
今日の寺院はこれを継承し寺院経営の基盤としています。

仏式葬儀が社会に浸透していったもうひとつの理由に、「死」は穢れや恐怖ではなく死者を導き成仏させる、迷妄の衆生を仏道に導く浄土への旅立ちであると説いたことです。僧だからこそできる説得方法でした。

引導作法は死者の霊魂に呼びかけて仏弟子となるための得度を受けさせる儀礼ですが、死者はここから長い修業を開始して悟りへの階段を登ってゆくことになります。死んだからと言って直ちに仏(悟りを開いた覚者)になれるものではありません。

葬儀や引導作法は死者があの世で迷うことなく修業できるようにとの遺族の願いを結集した伝統的な儀礼です。また、年忌法要は、この世に残されたものが、あの世で修業中の縁者に対して送る追善供養です。もし、葬儀の引導作法によって直ちに成仏できるものであれば年忌法要は必要なくなります。遺族の要請により僧侶が50回忌に至るまで死者が修業を怠ることなく悟りを進化できるように死者の魂に呼びかけている儀礼が年忌法要だと考えられています。
このような伝統儀礼は僧が執行して遺族の悲しみを慰撫してきましたが、その実体は外野席から送る応援のようなものとだ考える見方が一方にはあります。僧であっても死者になり替わることは不可能なことですから、一方では宗教儀礼が他人事と考える冷ややかな醒めた感覚の人々がいることは致し方ありません。しかし、だからといって、素人の新興宗教団体の信者が僧になり替わって形式的に執行して僧の真似事をしていいとは考えられません。葬儀、鎮魂や供養、回向は誰にでもできるものではないからです。

近年、新興宗教団体には、信者が信者の葬儀や年忌法要を執り行い、広大な墓苑を各地に造成して信者を抱え込んでいる巨大団体があります。自前で広大な墓苑を各地に造成し、強引な見解を主張しながら仏法僧の三宝を否定し続けています。宗教感覚がマヒして僧侶と同等、もしかしたらそれ以上に位置付けているかもしれません。毎日、簡便な朝晩のお勤めをしていると感覚がマヒして、自分たちは僧と同じかそれ以上だと錯覚しているのかもしれません。

これらの団体は宗門から破門されて所属の寺院から飛び出して自立した新興宗教団体ですが、信者が信者を抱え込み、大規模な墓地を造成して信者に転売し、巨額の利益を上げています。素人導師が僧の真似事をして粗雑で驚くほど簡略な葬儀の真似事を執行し、墓地の管理を手広く行い、信じられない簡略な供養や回向の真似事をし、信者を墓地に縛り付け、金のなる木に育て上げているという批判があります。素人信者が導師となり、このような粗悪な真似事をしていることに誰も文句を言わないことが不思議です。この教団には宗教儀礼の必然性の認識が欠落していること、葬儀、供養、回向の受け取り方そのものが決定的に欠落していることから、とても粗雑でいい加減な宗教儀礼の真似事をしているようにしか見えません。受け手(信者)が無知だからではないかとも考えられますが、不思議な団体です。

今日の葬儀には、役割分担をする多くの人手と経費がかかり一般家庭には頭の痛い問題です。葬儀を質素、簡略にして時間と人の手や経費を節約するという選択肢もありますが、死者を送る遺族が仏僧の厳かな葬儀を求める気持ちはなくならないのは事実です。

戒律の本質的な条項に抵触しない範囲内で破戒の口実にされることなく「随方毘尼」(時と場所によって条項の改廃を認める規定)という現実的な対応の仕方は妥当性の高い方法と考えられます。
時と場所によって、その時代の公序良俗や社会の価値観に適合する解釈の仕方があります。現代社会では、一般家庭でも僧による仏式葬儀の形式が広く浸透しており、僧は適任者であると認められ信頼されていることは疑いのない事実です。

明治維新後、西洋列国に追いつく目的で強力な天皇中心の国体を作り上げる明治政府が「国家神道」を目論み神と仏を分離する「神仏分離令」を断行しましたが、今日でも実質的には未完のままです。

また、信教の自由を保証する新憲法の下で、新興宗教団体が大量発生してさまざまな教義を建てたことにより、日本人の宗教感覚は価値観の多様化の氾濫の中で様々な価値観を生み育てています。

この結果、宗教統計の信者数などに正確な数字が反映できなくなっています。宗教統計によれば、日本の神道系信者数は1億人、仏教系信者数が約9000万人おり、日本の総人口を超える異常数値を示しています。