(42)-2禅宗②(禅の心)

禅の心を「あるがままに生き、あるがままに存在すること」を知恵の内容とするものと考えられますが、知恵の内容や本物の自分は言葉で表現することができません。ただひたすらに、座禅して、絶対的な「無」の境地を体現することを目的とすることを発想する禅宗の禅は中国で生まれた中国禅です。釈迦教団の伝統的なインドの禅定とは本質的に異なるものです。

禅宗が中国から日本にもたらされたのは、新興の武士階級が朝廷・貴族に代わって台頭してきた時期でした。 禅宗の受容が武士階級から始まったのです。 戦闘を職業として従事する武士は、この生業を正当化し得る新しい宗教を欲していました。 禅宗はこの武士の要求に適切に応えることによって布教の転機を掴むことができました。

新興の武士階級は、禅宗を新しい文化として受け取り、朝廷や貴族たちが誇りにしてきた京都の貴族文化や伝統文化に対抗する意図を持って、積極的に禅宗を受け入れたと考えられます。 鎌倉武士は、禅が中国の先進文化を代表するシンボルと受け取りました。

鎌倉時代を通じて、寺院の改宗という衣替えがこの頃に頻繁に起きました。 守護・地頭などの武士勢力の庇護を受けることを目的とするものです。 改宗は天台宗や真言宗の地方寺院が特に目立ちます。 これは、①地方寺院がさまざまな緊急の紛争解決のために本山の援助を期待するにはあまりにも遠隔地に位置していて万一の場合には不安があったこと、②地元の権力者が檀家寺の改宗を望んだことなどが挙げられます。 禅宗の布教活動は地元の有力者である守護・地頭をはじめとする武士階級の熱い支持によるものでした。

世界の眼を視点とすれば、今日の日本の仏教の中でもっとも世界に知られているは禅宗です。 禅宗には禅文化の存在価値を世界にアピールし、認知させた功績があります。 また、禅文化は茶道・華道・剣道・相撲道など多くの日本文化に計り知れない影響を与えてきた文化功労者です。 その功績は誰しもが認めているものと思われます。

禅の教えは言葉や文字に頼ることなく、師と弟子とが直接向き合い「師資相承」という形で受け継がれることが特徴です。師弟の間に深い人格的な関わりを持つことを前提とするものです。日本の禅宗には、つぎの三つの宗派がありますが、一般的に禅宗と言えば曹洞宗を指すことが一般的です。

禅宗を知る手がかりを栄西(臨済宗開祖)、道元(曹洞宗開祖)、隠元(黄檗宗開祖)の思想と事跡から、その違いを比較してみたいと考えます。

臨済宗は鎌倉初期に中国・宋に留学した栄西(1141~1215)が開祖です。 鎌倉幕府執権の北条氏から特別の庇護を受けましたが、室町時代の足利義満のとき、「鎌倉五山」(①建長寺、②円覚寺、③寿福寺、④浄智寺、⑤浄妙寺)と「京都五山」(①天竜寺、②相国寺、③建仁寺、④東福寺、④万寿寺、別格に南禅寺)が定められました。

この五山を中心とする禅文化を五山文化といいます。五山制度、鎌倉五山は北条執権氏や有力な御家人の庇護を、京都五山は足利幕府や有力守護大名などの権力者に接近して庇護を受けましたが、五山制度は足利氏が私的に定めたものであり、臨済宗全体の格式や上下関係を意味するものではありません。

これとは別に、臨済宗には意図的に権力者との間に距離を置いた大伽藍の大徳寺や妙心寺の流れがあり、今日の臨済宗の基本的な骨格を形成しました。臨済宗の特徴は「公案」を用いる看話禅にあります。 五山派からは戦国末期に西笑承兌が豊臣秀吉の、以心崇伝が徳川家康の外交顧問を務めました。

「公案」と「看話禅」とは、 公案は修行の過程でおこる疑問(疑団)を起こす為に用いられた禅問答です。 祖師たちの具体的な行為や言動を例に禅の精神を究明する手法ですが、 悟りの典型的な表現(公案)を元に学徒に悟りを開かせる手段として用いられました。 公案の体系は1700の典型的な表現にまとめられています。

公案は頭で理解するのではなく、身体全体で経験し、自分の心の中に見つけるものです。 他人の模範的な合理的な答えではなく、自身の直接体験から出た答えが求められます。 自分自身の見解を師に納得させる真正の見解(悟りの体験)でなければなりません。

看話とは「じっと見守る。注視する。」こと。公案を冷静に受け止めて思考を巡らすこと。 自分の心を宇宙と一体化し、真実の自己を発見する目的で行います。道元は、悟りを目標視する看話禅を厳しく批判しましたが、座禅の主流は看話禅でした。

曹洞宗は道元(1222から1282)を宗祖とする禅宗の二大宗派の一つです。中国曹洞宗の流れを受け継ぎ、永平寺(高祖:道元)と総持寺(太祖:瑩山)の二つの大本山が両極となって競い合い一宗の研鑽をしています。

道元は比叡山で学び、栄西門下の明全に禅の手ほどきを受けた後、中国・宋に留学し童山の如浄から曹洞宗を継承しました。帰国後、京都深草に草庵を建て、宇治に興聖寺を創建しての弟子の育成活動を始めましたが、比叡山の弾圧を受けて、難を避けた北陸の地に永平寺を創建しました。

曹洞宗の特徴は、ひたすら座禅をする「只管打坐」(黙照禅)です。道元は、仏道修行の基盤は座禅にあるとして弟子の育成をしましたが、一般的な布教活動はしませんでした。

座禅とは、精神の安定をはかり統一すること。「禅定」ともいいます。精神状態を示す「禅」に、身体の姿勢を示す「坐」が結び付き座禅という語ができました。 禅定は釈迦の悟りを追体験する大乗の菩薩の基本的な修行形態であり、禅宗の独自性を意味するものでなく、どの宗派にもあります。 しかし、黙々と座禅することで足りるとする黙照禅は他宗にない独自性です。

道元は座禅を「身体で座り、心で座り、身も心も一切の束縛を離れた自由な状態で座るべきだ」として「どんな悟りも救いも求めず、無条件に座禅に打ち込む姿そのものが仏(即心是仏)なのだ」といっています。

即心是仏とは、「自己と大宇宙とが一体化したあるがままの姿」をいいます。 道元は『正法眼蔵』で即心是仏に至る道が「只管打坐」であるとしています。 黙照禅とは、悟りを得るための修行として座禅するのではなく、座禅が悟りそのものである、と言っています。 只管打坐(黙照禅)とは、壁に向かって、ただひたすら座禅することです。

道元は『正法眼蔵弁道話』に「単伝正直の仏法は最上の中に最上なり。参見知識のはじめより、さらに焼香、礼拝、念仏、修懺、看経をもちいず、祗管に打座して身心脱落することを得よ」といい、焼香、念仏、読経も不要である、ただひたすらに打座して身心脱落せよ、と言っています。道元は、座禅の修行によって悟りを開いて仏になるのではなく、座禅の修行そのものがそのまま悟りであると説いています。道元の仏教観は、釈尊以来の祖師も座禅によって大悟したという認識にあります。

また、道元は、末法思想は許しがたい邪見であるとして強く否定しました。常に生じ、常に滅してやまない無常の中に法があり、釈迦の法が滅するものではなく、末法という特別な時はないと否定しています。末法思想に乗って燎原の火のごとく人々の心を掴んだ念仏宗の教えは「暇なく念仏を唱え続ける念仏衆の姿は、春の田の蛙が昼夜をわかたずに鳴き騒ぐようなもの。いかに唱えてもついに益なし」と否定しています。

この道元の批判の趣旨は、法華宗(現・日蓮宗各派)にも同様なことが言えます。法華経の総本山比叡山から異端視され数々の弾圧を受けながらも、法華経の異端な読み方から生まれた日蓮思想によって末法思想に火をつけて煽り、折伏という換骨奪胎の行為を敢行して布教の拡大をしてきた在り方は、幕府の忌避するものでした。

黄檗宗は、中国からの渡来僧・隠元(1592~1673)が開祖です。中国臨済宗をそのまま持ち込んだもので、日本化した臨済宗とは異なるものです。徳川四代将軍家綱の帰依を得て、京都・宇治に万福寺を創建しました。 中国風の念仏(己身の弥陀を念ずる)を加えた明朝の臨済禅とほぼ同一で特別な個性が無く、格別な布教活動もなく大衆に支持されることはありませんでした。

黄檗宗の僧としては、近代にチベットに単身で乗り込み苦難の末にチベット大蔵経を日本にもたらした河口慧海が有名です。しかし、何故か慧海は還暦を迎えて還俗してしまいました。

一般的に、禅宗では自己の意思を経典より優位に立てる欠点があることがしばしば指摘されています。禅宗では、経典の真意を究明する姿勢が稀薄であると指摘する識者が多くいます。 禅の特徴である「語録」や「問答形式」は、中国文化の特徴を示しています。

とはいえ、これまでに築きあげた「禅文化」は800年の実績を持つ日本有数の伝統文化を形成した事実があります。同様に、念仏(浄土宗・浄土真宗)、日蓮宗も800年の歴史があります。しかし、仏教思想の伝統的なあり方を基準にすれば、「非仏説」という疑いの眼を向けられることは致し方ないことです。

絶対的な「無」の境地や本物の自分を究明する禅僧の関心事は、ぎりぎりまで真実を煮詰める正念工夫にあります。自らの精神を如何なるものからも拘束を受けない自由の境地に置くことにあります。                                                 座禅とはひたすら座って何か一つ己のうちに真理を見出すことを目的とするものです。

禅者は、絶対的な「無」を見つめる中であらゆる思考と意欲ばかりでなく、感情をもなくして、沈思黙考を続けるほかなく、己も他者もない、言葉で言い表せない絶対的な「無」の境地にいたることを追及する正念工夫に没頭するならば、いわゆる後生善処や現世利益の妄想を受け入れる素地がありません。

禅宗の立場では余のことはいわゆる妄想のなせる業とみるほかないところから、信者の請いを受けて行う葬儀や年忌法要、本尊に向かって祈りをささげる行為や死者の霊や菩提に回向や祈りを奉げ、同時に自分の後生善処や現世利益を求める信者の行為の実態は禅の立場で見れば単なる俗欲にすぎないことになります。禅僧は信者が期待する功徳とは本質的には隔絶した世界に立っているのではないかと考えさせられます。

禅宗の「禅」は哲学であり、宗教の色も匂いもない。このような批判に禅僧はどのように答えるのでしょうか。

 

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