(11)キリスト教

キリスト教の特徴は、唯一絶対の神(万物の創造者=the Creator)の存在を前提とする宗教です。キリスト教社会では人間や動植物などの様々な生命体も宇宙も地球も神によって作られた(天地創造説=the Creation)とする神話によって成り立っています。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は思想的には同一の神を受け入れる同根の宗教です。この意味では「エホバ」も「キリスト(イエス)」も「アラー」も同一の神であり、伝道者の立場の違いから神の名が異なっているだけだと考えられています。いずれも唯一絶対の神を前提とする宗教であり他の宗教との共存は本質的には極めて困難と考えられます。いずれも他宗教の存在を認める教義がないという独善的な共通性を持つところから、他宗教との間には常に緊張感と相克関係が存在します。特に、キリスト教徒とイスラム教徒の間では信頼関係が容易には築けないことが知られています。

キリスト教のような唯一の絶対的な一神教の立場では、日本人の宗教観は理解されません。キリスト教社会では、創造主(神)と被造物(人間)との間には、造った者(神)と造られた者(人間)という厳然たる差別があります。この立場では釈迦、孔子、ソクラテスなどの偉人は実在の人であり、「土のチリから作られた被造物」にすぎない、ということになります。釈迦(仏教)をキリスト(神)と比べることは神に対する冒涜である、ということになります。

戦国時代の日本で布教活動したイエズス会の宣教師たちは、「土くれ」が神や仏として尊崇されていることに強い嫌悪感を持ち、貿易の利益を提供して領主をそそのかし、神社仏閣を破壊させました。この事実は、ルイス・フロイスの「日本史」第50章豊後編に書かれていますが、「新しいキリシタンたちは熱意に燃え、さっそくにも神仏(の像)を捨て、また焼却し、その地にあったすべての偶像(仏像や神像のこと)を破壊した」として、これが正義の行いであると絶賛しています。土くれの偶像は神への冒涜であり、これを破壊したのは正義の行いである、というのです。

日本は戦闘力のある武士の国であったことからキリスト教徒の植民地化は免れましたが、他の諸国では土着の宗教は徹底的に破壊され、キリスト教徒に改宗させられています。特に、南アメリカの諸国は悲惨でした。

ユダヤ人ナザレのイエスは、紀元前4年頃、ヨルダン川西岸のベツレヘムで、大工の父ヨセフと母マリアの息子として生誕し、少年時代をガリラヤ地方のナザレで過ごしたと伝承されています。
イエスは、大工を生業としていましたが、30歳頃にヨハネの洗礼を受け、荒野で40日の修行を経て、ガリラヤ地方を中心にして独自の教えを説き始めました。

ユダヤ教は神に救われる為に律法(戒律)を重視しますが、当時では約6000もの戒律があり、病人や貧乏人など、多くの人々は到底守れない状態にありました。
律法重視に疑問を感じたイエスは「神は人ができないことを要求し、罰するような方ではないはず」と考え、神は愛を与える存在だ、と説くようになります。
福音書はイエスが身体の不自由な人を治し、死者さえも蘇らせたと記しています。

イエスは「山上の垂訓」といわれる説教で、「心貧しき人は幸いである。天の国はその人たちのものである。」など「八福の教え」や「神の下の平等」「隣人愛」「復讐の禁止」を語り、キリスト教の精神や教義の土台となる教えを説きました。

ユダヤの人々は、神から使わされたメシアが出現してローマの圧政からユダヤの民を解放することを待ち望みましたが、イエスはユダヤ人が待ち望んだメシア(救世主)ではありませんでした。
イエスが説いたのは「神の愛による魂の救済」でした。
ローマ帝国の権力者と結託し利権を得ていたサドカイ派の祭司たちはイエスを警戒していました。
ユダヤ教の律法学者やパリサイ派の指導者から危険視されました。
イエスもまた戒律を厳守する彼らに懐疑的でした。
民衆の期待は裏切られ、反動でイエスを憎む人もでてきました。

紀元30年、イエスは弟子たちとの「最後の晩餐」で自分の処刑と弟子の背信行為を予言し、ユダの裏切りによってゴルゴダの丘で十字架にかけられ磔刑に処せられました。
イエスは、「神の子」を騙った罪でユダヤの最高法院に捕縛され、ローマ総督によって、「ユダヤ人の王」(ユダヤ人の救世主)と称した罪状で磔刑に処せられたのです。
聖書には、磔刑されたイエスは3日後に復活を遂げたとの記載があります。

復活したイエスは40日の間、弟子たちの前に度々現われ、処刑前に逃亡した弟子を許し、神の子として昇天した後、聖霊が弟子たちの前に降臨することを予言し、昇天10日後に聖霊が弟子たちに降臨し神の霊を授けたといいます。
キリスト教では、イエスが受難という形で人類の原罪を背負い、人々を救済しようとした、と説明しますが、このイエスの復活こそがキリスト教の原点となるものです。

キリストの生涯は謎に包まれた前半生と凝縮された晩年の僅か30年余でした。イエスが弟子と伴に伝道したのは僅か2~3年のことですが、この期間にキリスト教の根本が形成されたことになります.

父と子と聖霊の三位一体説は「キリスト論」として論じられ、イエスは神なのか人間なのか、という形で争われました。イエスが神であれば唯一絶対の神の外に別の神が存在することになり、唯一神の考えに矛盾が生じると考えられたのです。

神学者アタナシウスが考えた結論は、神は創造主である「父」と、イエスとしてこの世に現われた「子」と、神の超然的な力や人間に語りかける言葉である「聖霊」という三つのペルソナ(位格)があるがその本質は同一である、とするものです。

3~4世紀頃、これにアレキサンドリア教会の長老・アリウスが「父と子は完全に同一ではなく、子は創造主たる父なる神より劣格である」と反論しました。

キリスト教を公認したローマ帝国のコンスタンティヌス帝はこのことを憂慮し、325年にアナトリアのニカイアで公会議を開催し、「ニカイア信条」を採択してアタナシウス派を正統と定め、アリウス派を異端と定めました。
三位一体説は451年の「カルケドン信条」によって定まりましたが、キリスト論はこれ以後もたびたび論争を引き起こしています。

5世紀の半ば頃、イエスの人性を論じたコンスタンティノープル主教のネストリウスに対して、神学者エウテケスは「イエスの人性は、その受肉の後、神性に吸収された」とする「単性論」を主張しました。
ネストリウス派は、431年に異端とされ、「単性論」も451年に開催されたカルケドン公会議で異端とされましたが、これを機に、「単性論」を支持する東方諸教会が離反することになります。
現在でもエジプトのコプト教会、アルメニア教会、エチオピア教会は単性論派に分類されています。

キリスト教の世界の信者数は21億7318万人(2006年)で世界人口の33.2%を占め、世界の1/3はキリスト教徒です。
キリスト教は熱心な布教活動と諸国の侵略や植民地活動によって世界に広められた世界最大の宗教です。
しかし、布教の手段に問題があるにも係わらず、キリスト教の理念は人々に受け入れられ定着しています。西洋の先進文化として受け入れられたものと考えられます。

実は、キリスト教は「原罪・贖罪・愛」を特徴とする教説を説きながら、世界のいたる所に紛争の輪を広げて来た2重構造の歴史に彩られた宗教です。
18世紀以降、キリスト教は世界の政治、軍事、経済を支配してきた実績を持つ先進の欧米文化圏の諸国に支えられてきました。今日でも国際政治の力学を視点にすれば、キリスト教徒の独善性や責任を実力をもって追及できる対抗勢力がありません。

誰でもが世界紛争の原因を認識できる状況にあるにもかかわらず、キリスト教徒が関わる国際紛争は今日でも世界中に多発しています。

キリスト教国家の中からこのような現実問題に対する批判勢力がでてこないという特徴があり、キリスト教徒と係わる紛争は解決策が無く長期化して悲惨そのものです。
キリスト教徒は、神の唯一絶対性を信じる故に民族性と宗教が複雑に絡む紛争の当事者になると異教徒と妥協が出来なくなる傾向性が強くでてくる体質を持っています。

キリスト教を知るには「旧約聖書」と「新訳聖書」を知らなければなりません。これらの聖書は、実に二千年以上の歳月をかけて完成された壮大な物語です。
『旧約聖書』はユダヤ人の歴史12巻と律法5巻、智慧文学5巻、預言書17巻の39の書で構成されています。口承の物語などが次第に文書化されてきた長い歴史を持っています。
キリストの教えだけでなく伝承者の考え方も相当な量が混入されているものと考えられます。

『新訳聖書』はイエスの教えを記したキリスト教徒の聖典であり「THE BOOK」という唯一の書物です。イエスの生涯とその教えを記した福音書4巻、使徒言行録という歴史書1巻、パウロ等の複数書簡21巻、ヨハネの黙示録(預言書)1巻から構成され、紀元50年頃から約100年間で書かれたとされています。
カトリックの規範的な聖書とされるラテン語の聖書「ウルガタ訳」は紀元405年頃完成したものでこれが各国語訳の定本となったものです。ドイツ語訳、英語訳等の各国語の聖書は16世紀のルネサンス期に出版され始めたものです。

キリスト教には二大勢力があります。ローマ法王を中心とするカトリックの勢力とこれを批判して分裂し独立したプロテスタントの勢力です。
両者の違いは信仰理念の違いによるものであり、両者の対立は16世紀から17世紀に吹き荒れた宗教改革というヨーロッパ各地を巻き込む宗経戦争を経験したことによって政治的な妥協をみて、互いの存在を容認する共存関係が成立して棲み分けが完了しています。
キリスト教徒の理念の違いは、最終的には戦争という悲惨な経験をし、やがて疲れ果てて終息をするという特徴があります。
その概要はすでに述べました。

カトリックとプロテスタントの違いを上げれば、概ね次の通りです。

①名称の意味
カトリックは「普遍的」を意味する言葉です。国籍、人種、性別に関係なく、全ての人々に神の愛を与える、という考えです。
プロテスタントは「抗議する者」という意味で、カトリック教会の在り方を批判する改革者という立場をとりました。

②信仰の在り方
カトリックは聖書、儀式、伝統、伝承を重視し、ミサや善行を励行します。ローマ教皇、各階層の聖職者の階級制度を認め聖職者の権威を認めます。
プロテスタントは、教皇にあたる存在が無く、皆平等と考えます。信仰の拠り所は聖書のみ(聖書至上主義)と考え、信仰のみが魂を救済する(新興義認説)としてミサは行いません。聖職者の特別な権威を否定し、ローマ教皇も一般信徒も神の下では平等と考えます(万人祭司説)。聖母マリアの崇拝を否定し、結婚と離婚の考え方もカトリックより柔軟性があります。

③聖職者
カロリックの神父は独身男性に限られます。
プロテスタントの牧師は結婚が可能で女性も牧師になれます。

キリスト教の歴史と伝統は、「クリスマス(降誕祭)」、「イースター(復活祭)」「ペンテコステ(聖霊降臨祭)」という三大祝日によって表されています。特に、ペンテコステはキリスト教会の成立と位置付けられている非常に重要な祝日とされています。

キリスト教の最大社会はアメリカ合衆国です。歴代のアメリカ大統領が聖書に手を置いて宣言する儀式はアメリカが特殊な宗教社会であることを雄弁に語るものです。

アメリカ合衆国は、その当初はヨーロッパからの移民によって建国されましたが、多様な民族、多様な文化など、様々な多様性を背景に持つ人々が共存する国家です。

アメリカの礎を築いた当初の移民はイギリスからメイフラワー号で渡海してきた清教徒の集団でした。アメリカの建国には濃厚な選民意識が反映されています。神によって、新大陸アメリカ(約束の地)に導かれたと(選民思想)考え、聖書の世界が現実の世界として実現したのがアメリカの建国と捉えるのです。

「アメリカ人は神に選ばれた民」という考えは、モーセがイスラエルの民を引率してエジプトを脱出し、約束の地カナンに向かった故実に擬えた思想です。
この考え方は現在のアメリカ合衆国の外交姿勢に濃厚に反映されています。パレスチィナに於けるイスラエルと中東諸国との長い紛争で、アメリカがイスラエルを支援してきたのは国内のユダヤ勢力を意識してのことだけではありません。

アメリカ人の9割以上の人は神の存在を信じる人々です。キリスト教は多民族国家を一つにまとめる役割を果たしてきました。この人々の大半がマリアの処女懐胎を信じ、ダーウインの進化論を否定する人々ですが敬虔なキリスト教徒と考えられています。
アメリカのキリスト教保守派はユダヤ人に対して複雑な偏見を持ちながら、イスラエルは「神の祝福を受けた場所」と認め、イスラエルを守ることがキリストの再臨につながると考えているのです。

アメリカは選ばれた民によって建国された、とする精神が生き続けるためには「神徒の契約を絶対に守らなければならない」という条件が重要なポイントとなります。これを破れば、アメリカ国家は地獄に落ちると考える精神が外交や経済面に生きていると考えられています。
敬虔なアメリカ人のキリスト教徒ほど、アメリカがキリスト教の理念を実現した国と考えているといわれています。

他方では、ユダヤ教徒は長年にわたり培った高度な教育、科学、金融、商業の分野で絶大な威力を発揮し、アメリカにおいて、政治、経済、外交、科学などの基幹部分に特別な存在感を占めています。
イスラエル本国に匹敵する多数のユダヤ人がアメリカ国民として存在し強力なネットワークを形成してユダヤ人の権益を守りながら、アメリカ大統領の選挙をも左右する力を所持しています。