(39)-10中韓問題と安全保障③(外交と憲法を考える)

現憲法は、改正手続きが現実離れした硬性を持つところから「不磨の大典」と呼ばれますが,その解釈まで神聖視されてきた不思議な日本国の基本法です。この特徴は社会の進歩や時代と共に進歩する社会構造の変化に適合させる柔軟な対応ができない欠陥があることです。憲法の性格は、敗戦処理の混乱の中で、欧米思想のショックを受けて従来の価値観が覆されたことが大きく関わっています。憲法制定の過程はGHQ占領下の国民不在の政治状況の中でGHQの強い意向を受けて、民主国家の樹立の大義名分の顔の下に日本の無力化を巧妙に封じ込めて受託させた、まぎれもない押し付け憲法でした。

独立国家・日本国の憲法のあるべき姿を求める立場から見る憲法観と、現憲法に正当性があるとみる護憲観の立場とでは、憲法観には相当の違いが現れます。例えば、第9条問題がその典型です。現憲法ありきの立場に判断力を拘束された憲法学者の各条文解釈は、杓子定規の極めて教条的な字句解釈となる傾向性が強く表れ、独立国家の憲法はどのようにあるべきかという大局から「憲法の有るべき姿」を論じる憲法学者はほとんどいません。憲法問題には、憲法制定の手続きの正統性に大きな疑いがあることを知らなければならないのです。現憲法ありきの立場で、その正統性と擁護論を展開する憲法学者の主張には正当性があるとは考えられません。

憲法学者は、憲法の条文を教条的に解釈することしかできないただの学者であり、政治家ではなく、哲学者でも思想家でもありません。現憲法の憲法成立過程に何らの違和感を持たない憲法学者が政治に介入して憲法の条文解釈を語れば、有能な政治家の手足を縛り国民をミスリードする結果しか生まないと考えられます。現憲法には国家と国民の安全保障の重大な欠陥があるからこそ改正が必要と考えられているのです。現憲法は国家の安全保障を真っ向から否定する無責任で評価に値しない憲法と考える改憲論者が、現憲法の押し付けの理念を認めるわけがなく、空虚な現憲法擁護論を支持するわけがありません。

そもそも現憲法は占領軍CHQの意思によって作られたものであり、国民の意思が反映される日本国民の自主制定の憲法ではありません。国家の外交姿勢を縛り付けてきた(特に、第9条の規定は、中国、韓国、ロシア、北朝鮮などの隣国の侮りを受け続けている)現憲法は利敵行為に利用されるだけの情けない存在でしかなく、現憲法に国家の未来を奉げる論議は空虚でしかないと考えられます。現憲法には国民の生命・自由・財産等を断固として守り抜くという覚悟が全くありません。国家・国民の安全保障を全否定する現日本国憲法はく空虚な存在でしかないと考えられます。安全保障法を戦争法だとか徴兵制の復活だと煽り立てる極端な左巻きの憲法学者や政党に国家・国民を断固として守る覚悟があるとは考えられないのです。

憲法論議に「国家のあるべき論」が付きまとうことは当然のことと考えられ、憲法に定めた理念や価値観が現実的な国際社会の外交問題の在るべき論と乖離していることが問題になっていることが憲法改正論議の本質ではないかと考えられるのです。国家の独立性と外交を阻害し続けてきた閉塞感を打破しようとする憲法批判に対して、これを憲法違反と批難して封殺しようとする教条的な態度は憲法学者が絶対にとってはならない態度であり、教条的な憲法違反の発言は憲法学者の無能な思い上がりでしかないと考えられます。そもそも現憲法の安全保障の欠陥を指摘する改憲論者に対して、現憲法の9条を基準にして憲法違反だと批判する正当性は全くないのです。このような憲法学者の憲法擁護論の在り方には憲法改正論議を封殺して手が付けられない聖域にしようとする意図が見えてしまうのです。このような国民をミスリードする憲法学者の資質が問われることは当然であり、それに相応しい批判を受けなければならないと考えられます。

国際法の専門家で日本国憲法を評価する学者は少数派と考えられます。憲法の拘束力は、国際関係関連法(その例は国連が関係する国際条約や各国と個別に結ぶ条約など)の拘束力より劣るとする条約優位説が国際社会では広く支持されています。国際条約を破る国家が国際的な信用を維持できるはずがないからです。国家と国家の信頼関係を損なえば国益を大きく損なう結果しか生みません。孤立する国家には生き残れる道が無いのです。

国会議員が国会で安全保障問題について、あるべき論を語ることは、適性な権利のある職責であり憲法違反ではありません。安全保障は憲法改正手続きで正々堂々と行うべきだ、という議論は憲法改正手続きの難しさを知り尽くしたうえでの思い上がりです。安全保障問題は現憲法の意思を越えてはならない、国連憲章が認める集団的自衛権の行使は憲法違反だ、とする憲法学者の主張は国家の安全保障を否定して、憲法の条文に国家の政策を否定する力を認めるものであると考えられます。しかし、国家と国民の意思を超える憲法の存在などありえず、それは認められません。そのような変えられない憲法の存在理由は無いのです。

安全保障問題には緊急性がありますが、憲法改正は、簡単には議決できない難関の手続きの縛りがあり、憲法は改正手続を簡単に実現させない規定を持っています。可能性が見込める内容の改正から順次に着手することは合理的な権利の行使であり、何らの正統性を損なうものではありません。どこから手を付けようと批判を受けるいわれはなく、国会審議を封じ込めようとする言論ファッショには正統性が無いと考えられます。

また、行政機関のトップである内閣には、緊急課題にはタイムリーで適切な政策を実行する責任があります。できることから、可能性があるものから手を付ける手法が最も適切な責任の取り方だと考えられます。責任を回避する無能な内閣には、国民の信頼はなく期待は集まらないのです。憲法の改正が先か、安全保障法制が先かは、実現可能性が高い順に手を付ける方法でしか対応できない現実的な要請によるものです。これらは現憲法の非現実的な手続き規定の縛りを受けていることからやむを得ない次善の策であり、他に効果的な方法が無いことから批判できるものではありません。結果的にいえば、国会審議の結果を国民の大多数が承認すれば、修正できない瑕疵はありえず、法体系の整合性は保障されていると考えられます。国家・国民は憲法のために存在しているのではなく、国家・国民が、憲法・条文の非現実性を認める場合には速やかに改正する権利を行使できるのです。

国会議員の職務の範囲内にある安全保障論議についての意見の開陳を遮り、これを憲法違反問題にすり替えて騒ぎを大きくする戦術を使う野党の国会議員、憲法違反に仕立て上げたい一部マスコミの偏向報道のように国民を煽り立て、国会議員の意見の開陳を封殺することは許されません。憲法学者は、伝統的に左派思想の持ち主が群がる傾向性があります。現憲法の正当性と擁護に固執する思想を持つ人物に憲法改正の論議をする気概や問題意識を持つことを期待することは出来ません。左派系マスコミや憲法学者の大半が第9条の改正に反対し、集団的自衛権は違憲と考える傾向性があることから、安全保障問題を放置できない内閣の責任は重いのです。国家のあるべき論を明確に示して安全保障問題を論議する姿勢を取らない憲法学者が、責任を果たそうとしている内閣の法制化(案)を憲法違反と声高に批判する醜い姿は見たくないのです。

憲法学者は、いわゆる学識経験者ですが、憲法のあるべき姿を国民に提案する責任も義務もありません。現憲法の非現実性や現憲法の正統性が議論の対象になっているのに、現憲法の擁護論しか口に出せない役立たずの存在に過ぎないのです。しかし、政党や国会議員には、国家国民の安全性を真正面から向き合い、憲法改正の必要性があれば国民に提案し、その草案を国民に提案する義務があります。国家と国民の安全性を護る責務があるからです。憲法がどうあるべきかについて、国民に提案し、大いに世論を喚起するのは国会議員の正当な業務であると考えられます。朝日、毎日とその系列テレビが左巻きの憲法学者ばかりを撰んで憲法擁護の発言をさせている危険な報道姿勢は報道の中立性を欠く自損行為ではないかと考えられます。この偏向報道姿勢には、意図的に国民の判断を縛り付けようとしている独善的な政治的作為があからさまに見えるのです。

憲法改正(政治・哲学的な価値観を示す必要がある)についてあるべき論を語らない責任も自覚もない憲法学者が、現憲法の擁護の対象となる条文内容の政治・哲学的な価値観の根拠を示さないままに、憲法擁護を主張して容喙することに正当性はないと考えられます。現憲法には制定過程に正当性が認められない疑惑があると考えられることから、国会議員にはこれを議論の対象にできる至高の責任と義務があるのです。

「不磨の大典」は、決定的に、日本国民の同意によって成立した自主制定の憲法ではありません。しかも、憲法改正の手続きが不透明であり国民参加の国民投票の機会が奪われたままでした。2010年5月18日に施行された、「日本国憲法の改正手続きに関する法律」(国民投票法)が公布されたことで、憲法改正の議論が始まる環境が整いましたが、この先は国民の同意と忍耐力のある強い政治的エネルギーなければ変えられません。実は、現憲法下では、日本の独自性に基づく外交力を展開することは不可能と考えられていますが、その主因は第9条と日米同盟は米国の主導の下で機能できる仕組みになっていることから、米国と異なる価値観を持つ方向に舵を切ることは、日本外交の孤立化を意味するものと考えられます。現憲法下では「日本のあるべき姿」が全く見えてきません。日本は今後どうあるべきか、日本人の英知が試されているといっても過言ではないと考えられます。

憲法が非現実的な理念をたくさん抱え込まされたこと、戦後70年間、一言一句の改正もできなかった硬性手続きの特殊性などから、今後とも国家の基本構造の変化に何一つとして対応できない欠点があります。憲法改正には、膨大な政治的エネルギーの消費が必要です。憲法を押し付けた米国でさえこの日本国憲法を評価していません。司法、立法、行政の国家機能の在り方のみならず社会制度や他の諸規定の有効性にも少なからず制度疲労が蓄積されてきていると考えられますが、現実的な対応を可能とする智慧が出る見込みがないからです。米国が考えた効果以上に、憲法が日本人の精神を縛り付けて、自縄自縛に陥ってしまったからだと考えられます。左派イデオロギーの猛威が日本人の賢明な柔軟性を委縮させたのでしょうか。

自主性のある「日本外交の有るべき姿」と第9条の存在は表裏一体の関係性にあります。第9条1項の「戦争の放棄」は法的にも成立する概念と考えられますが、同2項の「戦力の不保持」や同3項の「国家交戦権の否認」は、国際法で認められた国家の自然権であり、国家の安全保障という当然の権利を否定するものであることから法的には成立しない概念です。法的には効力がありえない文言をわざわざ付けさせたのはGHQの驕りとしか考えられません。日本の属国化が狙いだったと考えられます。

国家が自然権として所持する安全保障の権利は、誰であれ、何人も否定することができません。このことを個人に置き換えればよく理解できることですが、「~をしない、~もたない」という表明は急迫不正の侵害に対して正当防衛の権利を否定するものであることから明らかに無効な文言となります。ゆえに自国の正当防衛を否認する国家は、国家の固有の権利を自己否定することになるので許されません。そもそも国家の安全保障を放棄して国民を護る義務を放棄した国家には存在価値がありません。第9条2項、3項を国家の安全保障を否定するものだという法解釈は成り立ちません。最高裁であっても、国家の安全保障政策は高度な政治問題であることから、字句通りの単純な判断はできない法律上の限界があるものと考えられます。

しかし、日本国憲法にあってはならない文言が明文化されたことで、成文法として成立していると考える人がいることも事実であり、問題の根が深いことから日本は深刻な板挟みに陥っていると考えられます。理論的には平和国家の概念と安全保障政策とは矛盾しない概念であると考えられます。このことは現実の世界各国の国家基本法が証明しています。安全保障を放棄している国家は、実践に耐えられる規模の軍隊を持つことが現実的には不可能であり、また、軍事的な脅威にさらされる危険性が低いことから安全保障対策が不可能なミニ国家だけです。これら諸国の安全保障は米国の保護下に置かれているのが現実です。米国は日本をこれらの太平洋のミニ国家と同様の位置づけに縛り付けたと考えられます。

「憲法は国家を縛るもの」という論理を声高に主張する者がいます。この主張は左派思想に束縛された人物が使う典型的な愚かな憲法(国家の基本法)観ですが、世界で最初に憲法を制定した米国は英国からの独立戦争を契機とし、二番目に古いフランスはフランス革命を契機として国家と人民の関係性の理念を示し、権利と義務の関係性を宣言するものでした。「国家を縛る」という概念は国家権力を悪の存在と見るレヴァイアサン(leviathan)の偏見の価値観でしかありません。現代社会、特に民主主義が定着した先進国には、国家権力を敵対概念と捉える不幸な認識は育ちません。「憲法は国家を縛るもの」という価値観は、共産党一党独裁の中国こそが受け入れなければならないと考えられますが、中国共産党は法律の上に君臨する特別な存在です。人民解放軍は国軍ではなく、中国共産党の傭兵(私兵)です。人民に対する義務はありません。義務があるのは人民ではなく、共産党だけです。とても危険な存在です。

戦後の昭和20~40年頃までの日本は、戦前戦中の国家の在り方会を極端に批判する左派系イデオロギー思想が台頭し、自衛隊の違憲性を主張して日米安保条約の改定を阻止する勢力のデモが頻発して国家の自衛権を否定する異常な事態を引き起こしました。労働組合が労働争議の不満から実力を行使するストライキを多発させ、通勤通学の交通機関を麻痺させられて善良な市民は大変な迷惑を蒙りました。自衛隊や警察を税金泥棒として否定する逆風が吹き荒れたことで、無責任時代を彷彿とさせる左翼思想が蔓延しましたが、同時に、この時代は政府批判に照準を合わせた新聞、報道機関が活躍した時代でもありました。戦前の体制を批判する姿勢が旺盛なのは致し方ないこと考えられましたが、情けないことに、新聞、テレビの報道記者の知的レベルはバランスが乱れて左にバイアスがかかりすぎたことで適切な制御がきかない状態が続きました。これが知的な報道人と錯覚したと考えられます。

この流れの中で、自衛隊の存在を否定する勢力から国家の安全保障制度を護ること、これが政権与党の最大の政治的な関心事になりました。しかし、自衛隊の役割を対外に広げようとすれば、社会党や共産党をはじめとする野党の自衛隊違憲論の反発を受けるしかなく、国会は何度も空転し審議は行き詰まりました。政府は安全保障を護る観点から国会対策を乗り切ろうとしたことで、より穏当な説明に終始し1972年「集団的自衛権は有するが、行使できない」(個別的自衛権しか行使できない)とする答弁をするしかない状態に追い込まれました。こうして、集団的自衛権の行使が封印されたのです。

経済が好調化に向かい、国民の生活が安定して豊かになると、社会党、共産党の主張する左派イデオロギーは国民のを支持を失い、両党の政治的主張は国民を刺激する力を失いました。極端なイデオロギーの思想対立は終焉し、落ち着いた国会論議が進む状況になりました。国民の期待を悉く裏切った民主党政権が鳩山、菅という2人の外交音痴の首相を作りましたが、この期間に、日本の安全保障は米国の信頼を損ない、中国、韓国の侮りと蔑視を招きました。民主党政権の責任は重いと考えられます。

日本を取り巻く国際関係は、一段と危うい状態に陥り、日本は国際的な存在価値を著しく低下させましたが、2012年12月の衆議院選挙の投票結果において国民の支持による政権交代が行われたことで、日本の政治史に稀に見る安定した安倍政権が安全保障政策の仕切り直しを行える政治状況を作りました。危ないところで日本は迫りくる危機を脱しました。

2012年12月に誕生した第二次安倍内閣は、真正面から安全保障政策に取り組み、歴代首相には見られなかった積極的な平和外交を展開しています。安倍ノミクス政策が効果を発揮して国家の安定化に寄与してほしいと考えます。このような外交センスを持つ人材が出てきて日本の地盤沈下を防ぎ、新たな国家観を形成することは待ち望まれていた希望です。安倍内閣が2014年7月1日の閣議で「集団的自衛権」を容認を決定したことは、責任ある本来的の国家像を示す第一歩であったと考えられるところから歓迎し、支持したいと考えます。

安全保障政策は、思想の対立でも、好き嫌いの判断でもありません。現実的な国際政治の中で、自国の安全性を図るために避けて通ることができない政治課題です。安全保障政策は、国家の統治機構の明確化と同時に国家が第一に決定しなければならない対外的な政策です。これによって国家の性格付けと評価が定まるといっても過言ではありません。国家の安全保障政策を認めれば平和国家のイメージが損なわれるという偏見には賛同できません。このような戯言をどの口が言っているのか知りたい気分です。本来的なあるべき姿は、安全保障制度を固めて国家と国民を護る基本理念を宣言し、堂々と平和国家の在り方を論ずるべきです。こうなれば、日本外交は世界に存在感を示すことができると考えられます。

戦後の日本人が、自国の安全保障政策を70年も決められないまま放置してきて、国家の威信が保てることなどありえません。これを救ったのが自衛隊の存在と日米安全保障条約の存在でした。領土問題や慰安婦問題、南京大虐殺の捏造は、自国の安全保障を他国に委ね、自国民を守る気概を喪失した日本政府に対する報復行為という側面があるという事実を見落としては何らの解決方法も見えてきません。日本は、何の圧力も恐れもない安全牌、何を言っても許すほかない国、何をしても反発や抗議ができない国、という評価が定着して蔑視され、見下げられてきた国、これが日本に対する中韓の評価です。日本の無能な外交姿勢がここまで軽く見られる結果を招いたのです。日本国民の巨額の血税が無駄に中韓に浪費され続けてきたのです。国民は怒りを表すべきだと考えられます。

欧米諸国は長い戦争の歴史を体験して今日の国境を画定し、王権と人民が権利の奪い合で戦い、天賦の人権を勝ちとって権利と義務の法的な関係性を学びました。欧米の戦いの歴史観の立ち位置から見れば、日本国憲法の第9条は考えられない自己否定だという評価をうけることが確実です。日本と枢軸同盟国で敗戦の憂き目にあったイタリアとドイツは、とっくに独立国家を宣言して軍隊を所持しています。イタリアとドイツの再軍備は、国家の当然の権利として何らの支障を申し立てる事由がないところから、欧米諸国から認められましたが、ドイツは集団的自衛権を行使して、欧米諸国の信頼を深めています。

国家固有の権利(自然権)である「安全保障の権利」をGHQの意向で放棄させられたからといって、これが平和国家の在り方だと教えられ、安全保障=戦争という図式を語る人は???です。戦後の日教組に偏向教育を刷り込まれてきたことに気づいていない人たちではないかと考えられます。国家の固有の権利である自国の安全保障を憲法違反とする図式にして批判しているのは、外国では反日政策に固まった韓国と中国(これは内政干渉です)のみであり、国内では共産党、社民党、民主党(旧社会党系)の一部、生活の党です。

ゆえに、国家の安全保障は、自衛隊の存在と日米同盟が第9条の欠陥を補正してきたのですが、自衛隊には戦時行動ができません。シビリアンコントロールが機能していることが原因ではなく、実は、自衛隊の艦船も戦闘機も迎撃ミサイルも米国の軍事情報システムを使っていることから、米軍の協力がなければ独自の防衛能力が発揮できない仕組みの中にあります。戦後の安全保障に係わる日本外交は一貫して米国の影響下にあります。日本外交の真の独自性は、安全保障の自立(軍事産業の国産化)という課題を解決しなければ実現できないと考えられます。なを、外務省条約局が中心となって第9条の憲法改正を内閣に進言してきたことは評価できることだと考えられます。

中韓両国は、日本は米国の50番目の州という表現を使って日本を貶めています。隣国(中国、韓国)は、意図的に反日政策を取る国家です。日本を米国の属国として貶める価値観を共有しています。両国は、日本が賠償金や技術提供を行って国家の復興を手助けしてきた国家ですが、民族のプライド(中国の中華思想と韓国の小中華思想)が強く被害者意識を捨てることができないところから、国民を扇動して反日政策を取り続けています。

共産党一党独裁国家・中国とファビョン国家・韓国の反日政策が改善される見込みはありません。日本は中・韓・露の周辺国との善隣友好関係を構築しなければなりませんが、その環境作りは平和ボケをすることではありません。この両国との外交の急所は堅固な独自の安全保障体制を構築して完全な自主外交ができる国家となり、フリーハンドで独自外交ができる国力を持たなければならないのです。これら隣国の民族性を考えれば、ことばや誠意を尽す話し合いで外交問題を決着させることができる相手ではありません。国力の違いを示して圧倒しなければ容易に納得させられない相手です。日本の周辺国は何処を見ても生易しい国はありません。日本が国力を失って平和ボケをしているうちに、周辺国は挑発的な軍事国家に変貌を遂げています。安全保障の再構築、外交の自立、憲法改正は同一線上にある緊急の政治課題と考えなければなりません。周辺国は、善隣友好、互恵平等などという抽象的な観念では説得できる相手ではありません。

日本人には憲法の欠陥を補う智慧が不足していました。価値観が異なる政治勢力がイデオロギーの対立を延々と繰り返す情けない政党政治の欠陥がモロ出しでした。隣国の侮りを受ける情けない政治状況を作ってしまいましたが、このまま放置することは許されません。憲法問題はイデオロギーを主張する場ではなく、現実的な「国家のあるべき姿」を形成する場だと考えられます。

戦後の政党政治は、政党が国民の代表者の顔をして互いに非難応酬するばかりで建設的な成果をだす努力が足りませんでした。国会議員の存在価値を何も決められない議員自身が否定してきた政治状況がありました。政治家が対立する相手を説得する努力を怠ったからだと考えられます。イデオロギー対立のスパイラルに陥った日本の政党政治は国民の福祉向上の貢献度が低いという批判があります。有権者の無責任な投票行動が小政党の存在を許してきたとも考えられますが、特に小政党は、車軸の働きを妨害する砂粒にならない大局的な役割を期待されていると考えられます。そもそも小政党には国民の負託が無い結果であることを十分に自覚して貰いたいと考えます。小政党の存在をいつまでも許すのは有権者の投票行動に問題があるとも考えられますが、小政党の不毛なイデオロギー論争を聞かされる忍耐力には限界があるのではないかとも考えられます。

憲法は、現実的な制度疲労を考えれば、解釈で対応しなければならない苦渋の次善策には限界があると考えられます。日本の国力の増進、発展を望むならば、国家の基本法の補正や改正、またはスクラップ&ビルトを実現して、柔軟な対応を可能とする基本法の自主制定が必要な時期に来ていると考えられます。70年も憲法のしばりに囚われている先進国は日本だけです。旧態依然としたイデオロギーの対立に呪縛された日本は国家の危機に即応できない体質を持った国だと評価されています。これをチャンス、奇貨として捉え繰り返して挑発を続けている国が中国と韓国です。現憲法が世界に評価され、信頼されていると考えている人は???と考えられます。

戦後70年間、第9条の現実的な評価は、日本外交の足枷の存在でしかなかったと考えられます。国力とは「領土、軍事力、経済力」の総和です。領土は領海、領空や資源、民度(生活、文化のレベルなど)を含む概念です。安全保障の欠陥は、決定的に外交力の欠陥をもたらすことは事実です。かつて国連の常任理事国の資格の一つが軍事力の要素でした。日本外交には、相手国の譲歩を引き出す圧力要素が欠けています。この点では、外交下手を外交官の能力のなさに転嫁するのは酷な評価ではないかという外交ジレンマがあります。

中国、ロシア、韓国は、伝統的に軍事力のない国家を対等な外交交渉の相手とは認めません。日本が相手にされているのは経済協力と技術開発協力を期待されてのことだと考えられます。強硬な反日政策をとる中国、韓国は話し合いで解決できる相手ではありません。反日政策を国是とする中国(尖閣諸島問題と南京大虐殺問題の捏造)、韓国(竹島問題と従軍慰安婦問題の捏造)は、日本から軍事的圧力を受けない安心感から、日本に領土問題で譲歩する可能性は全くありません。同様にロシアは実効支配している北方四島の基地化を進めて手放しません。

この三国は日本の経済力の長引く低迷が、日本の国際的な影響力を低下させていると見て、日本の国力を格下にみる姿勢を露骨に見せています。中国、韓国、ロシアと領土問題を抱える日本の立場には解決策がないところから、忍耐をするしかない現状です。日本には、相手の譲歩を引き出すだけの国力(経済力、外交力、軍事力)が決定的に欠けています。日本が安全保障を放棄したと受け取られ、軍事力のバランスが崩れたと判断されたなら、領土問題の危険性がいっきにエスカレートする危険性があります。これが日本を取り巻く国際政治・外交の実態です。国力に威信がなければ外交問題の解決の道筋が開くことはありません。

アジアの覇権を目論む中国共産党が、(江沢民主席当時に)中国に従わない日本を抑え込む対日戦略を機関決定しました。中国が日本に持っている対日観は、第1に「日本は政治大国にはなりえない」、第2に「中国は日本をコントロールできる」というものです。日本をコントロールする方法は、①「米国を使って抑え込む」、②「日本の国柄を利用する」というものです。戦後の日本外交の実態から、日本は強く押せば引く国柄と見られています。よって、中国は日本人が持ち続けている自虐史観を利用して、戦前の日本軍の行為を強く非難し続けることによって、日本の頭を抑え込むことができるという認識にあります。これらは、日本が戦後の70年も中国と韓国に謝り続ける自虐史観に縛られ、憲法第9条の足枷を取り外すことができない情けない国家と見下された認識から導き出された外交戦略だと考えられます。

韓国が持っている対日観も同様ですが、このことは、日本政府が戦後体制からの脱却を宣言し、毅然とした国家の威信を示さなかったことから中韓両国の侮りを受けて、執拗な外交攻勢を仕掛けられてきたこと示しています。特に中国は、中国の属国でしかなかった韓国が外交交渉で堂々と言いたい放題に日本を批難し続けてきたこと、日本が韓国の要求を受け入れ、何らの対抗策や報復ができなかったことに注目をしてきました。 日本は財務省の無能な金融政策によって、自発的に急激なバブル経済の崩壊を引き起こしましたが、日本経済の劇的な凋落を見つめていた中韓両国は日本を衰退勢力と見極めました。日本はアジアを牽引する力を失った衰退国家となったと認識しました。中韓は、これを国威発揚のチャンスと捉え、日本は自虐史観に縛られ続ける情けない国家になったから、日本には何を言っても許されるという安心感を持ちました。侵略の歴史に報復するチャンスが到来したのです。

中国と韓国は儒教思想の面子(メンツ)を重要視する国民性であり、事実よりも面子を大事にする習性を持つところから、日本は面子を守れない情けない国家という評価が浸透し、今が叩ける絶好のチャンスだから、日本を叩けるだけ叩いて日本つぶしを目論んで出してきたのが、いわゆる「歴史認識」です。外交的には包括的な賠償によって解決済になった問題ですが、何度も蒸し返して、捏造の歴史事実を認めろと迫る執拗な要求です。中韓は国際条約を無視する異常な共通性を持っています。

この中韓の歴史認識は、日本叩きを目的とする外交的な意図を持つところから、安易な妥協をすることができない危険な要素を含む問題です。しかし、阿倍政権の出現で中韓の思惑も簡単には進展できそうもありません。中韓は思惑が外れたことから、これを国際問題に発展させることで国際的にアピールして安倍政権に執拗な圧力を掛けようとしています。中韓が要求する歴史認識は、簡単にいえば、中韓の歴史認識を丸ごと認めて責任を取れ、と言っていることから解決できる性質の問題ではありません。この歴史認識の解決のためには、問題点を一つづつ証拠に基づいて検証し、事実関係を争いがないまでに相互確認する手順が必要です。それが困難であるところから、外交交渉によって国際条約を締結して包括的な賠償をしたのですが、中韓は何度も蒸し返して未解決の外交問題にしようとしているのです。

中韓に共通する異常な国家観は、①歴史の捏造、②情報工作(報道の統制、在日の反日活動など)、③偏向教育(捏造の歴史観の刷り込み)、④軍拡(日本を強く意識した軍事力の増強)、⑤国際法の無視、などに見られます。日本政府には、中国と韓国は諸外国とは全く価値観が異なる国家であるという認識が徹底的に欠落しています。中国と韓国は、現日本国憲法の強力な後押しと恩恵を受けていることから話し合いで解決できる相手ではありません。相手が怯むほどの強力な安全保障の備えがなければ、話し合いができる相手ではないのです。

もし、またもや外交的な特別の配慮をして妥協したり、中韓の捏造の歴史認識を認めることになれば、日本の外交はジ・エンドとなります。今は国民全体が断固とした決意で阿倍政権を支え国益を守る時だと考えられます。中韓にオウンゴールを提供する愚かな自滅行為を絶対にしてはならないと考えます。

日本は、まぎれもなく伝統的に外交能力の資質が高くない国家です。外交下手は大陸から離れた日本列島に固有の文化を創造した民族性に由来するものと考えられますが、日本はこれを自覚して、専門の外交能力の資質を持つ人材の発掘をしませんでした。外交資質の高い外交官を育てる育成機関を作りませんでした。

これに輪をかけて日本外交の無力化を縛り付けてきた装置が日本国憲法の存在でした。70年も憲法改正論議が進まなかったことで、日本の対外的な信用はがたガタ落ちです。戦後、雨後の竹の子のように育った自虐史観に覆われた左派思想の新聞メディアが跋扈したことで、脳天気で無気力な平和ボケした日本人を作り続けてきました。日本は土台が腐って自滅しようとしていたのです。今、安倍内閣の出現によって、起死回生の再出発をしようとしていますが、戦後70年間に抱え込んだ負の遺産があまりにも大きすぎて前途は多難です。

中韓との過去の歴史問題や従軍慰安婦問題、南京虐殺問題の対応には、専門の外局を設置して、専門家に対応させることが最も適切と考えられます。報道官を設置して、中韓の主張に対して、一つづつ反論させる必要性があると考えられます。これらを逐次に複数のメディアやインターネットに広く告知して情報提供することが効果的であると考えられます。中韓との間で相互に主張と反論が出揃った段階で証拠に基づいて問題点を整理し、事実関係を明らかにして、英語、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語に翻訳する必要があります。国連、中国、韓国のほか、諸外国に情報提供することが望ましいと考えられます。

中韓の捏造の歴史観に何時までも付き合う必要はありません。このような覚悟をもって対処しなければ、収束することがないと考えられます。もし、二国間の国際条約で解決済であると主張するのであれば、そのことが客観的に認知できる方法で広く告知するべきだと考えられます。中韓と比較して、日本政府には、情報発信をする努力が圧倒的に不足しています。国民を安心させる努力が必要だと考えられます。

大陸の諸国は隣国と長い国境線で対峙してきた歴史を持ったことで、国家間の利害得失にとても敏感に反応する国民性を持っています。優勢な軍事力、経済力、豊富な資源を背景にする相手方の外交力に立ち向かうには、相当な外交資質と柔軟な外交努力が必要です。不利な条件を抱えながら、相手の譲歩を引き出すことが外交能力です。日本は外交的に不利な条件をたくさん抱え込んでいる国家です。国家の外交に手枷足枷となる政府批判は、国内問題だけにとどめる配慮が必要だと考えられます。些細な自己満足のために、反日国家を支援するオウンゴールをしてはならないと考えます。

特に、朝日新聞の近年の国家批判の報道姿勢には主義主張を押し付ける傾向性が目立ち、強い不快感が感じられます。国家の自衛権を否定する立場を国民に訴えたいのであれば、理想とする国家の理念と構造を明らかにして、少なくとも百年を見通す日本の国家観を明白にすべきだと考えます。過去の朝日新聞の編集者や評論家の主張は、国家のあるべき姿を描く能力がないのに、批判の為に批判をしている50年前の書生のような論調ばかり見えすぎて全く評価できません。1960~70年代の米ソ冷戦構造の時代に、左派エネルギー思想を持つ学生が蔓延し自らを左派リベラルと呼びましたが、そのカビの生えたイデオイロギーが朝日新聞に勢力を保持したまま生息しているのでしょうか?何かあれば政府批判に走り、国益を損傷する愉快犯の正体はこのような生霊なのでしょうか?

朝日新聞、朝日テレビの視点には、「国家のあるべき姿」が決定的に欠落していると考えられます。国家の批判には、この視点が欠かせません。2014年6月27日のテレビ朝日「報道ステーション」の集団的自衛権に関する一方的な主張には本当に驚きました。テレビ朝日の報道姿勢は露骨な偏向姿勢で満ちていました。朝日の報道の使命とは、政府の安全保障を妨害して日本の国力を毀損することなのでしょうか。

国民が求める新聞やテレビの報道の役割とは何か、驕りや慢心を捨て、バイアスの主義主張を捨てて、是々非々の現実的な道理を視点とする報道をしていただきたいのです。むやみに国益を毀損する報道や記事は必要最小限にとどめていただきたいのです。バイアスがかかりすぎる朝日新聞の購読者数が伸び悩み、読売新聞の購読者数に圧倒的に引き離されて到底およばない理由を考えていただきたいのです。一部の朝日ファンを除き、大多数の国民は朝日新聞の報道姿勢を評価していないと考えられます。

朝日新聞には、国益を害する報道姿勢を改めて頂たいのです。読者をミスリードする報道姿勢を改めて頂きたいのです。読者は馬鹿ではありません。読者は朝日新聞の批判者でもあるのです。国益を害する、露骨な反日政策をとる外国を喜ばせる記事や報道をすることは、国民に挑戦していることと等しい行為だと考えられます。国益を害することなく、読者が受け入れられる、読者を感動させる正当な批判記事や報道姿勢を取って欲しいと思います。