(7)国際紛争とヨーロッパ社会の安定化

英仏の王位継承と領土問題を発端とする百年戦争(1337~1453年まで116年、間欠的に続く)や各地の戦乱の中で、イスラム文化圏から伝わった大砲や鉄砲が登場して戦略の変化をもたらしました。主役であった騎士階級は戦場の主役から退き没落の道をたどることになります。
これが王権の強化と絶対化に拍車をかけることになりました。
百年戦争を通じて、フランスとイギリスの国境線が決定されることになり、両国の国家体系と国民の帰属意識が形成されることになりました。

宗教改革の嵐の中で、新教徒が誕生しました。イギリス王ヘンリー8世は王妃との離婚問題を認めないことを理由としてローマ教皇から独立する「イギリス国教会」を成立させその長に就任しました。教権を王権の下に置く特徴がありますが、今日まで継続していることから特に社会問題は発生していません。
フランスではカルバン派の新教徒(プロテスタント)の「ユグノー」が大勢力となり、保守勢力のカトリックと間で諸国を巻き込むユグノー戦争に発展しました。
各地にプロテスタントが出現しましたが、フランスでは「ユグノー」、オランダでは「ゴイセン」、イングランドでは「ピューリタン(清教徒)」、スコットランドでは「プレズビテリアン」と呼ばれ社会的に大きな勢力となりました。
プロテスタントの成立は、やがて、国と国との国家間の戦争を引き起こすことになりました。

宗教革命は多数の新教徒を育て、教会の権威(破門権ー地獄行きの決定)を失墜させることになりました。この中で、教会から自由を獲得した王権は絶対王政を育て上げ「王権神授説」を生みました。
王権は神により授けられたものだとするこの説は、支配権の正当性を神授をも持ちだして、その権力の執行の正当化を図るものです。キリスト教など唯一絶対の神を信奉する一神教思想の特徴です。

八十年戦争(1568ー1648)は、カトリックのスペインに対する属州のネーデルランド諸州の独立を求める反乱です。オランダが独立したことから「オランダ独立戦争」ともいいます。カトリック教徒とプロテスタントの宗教戦争ともいわれます。

三十年戦争(1618-1648)は、ボヘミアのプロテスタントの反乱をきっかけとして、神聖ローマ帝国の皇帝位を持つオーストリアのハプスブルク王家がヨーロッパの覇権を確立しようとする野心を見せ、これを阻止する勢力(フランスのブルボン王家、スウェーデンのヴァサー王家)の国際戦争として展開しました。「最後の宗教戦争」とも「最初の国際戦争」ともいわれます。

この三十年戦争は、最初はカトリック側とプロテスタント側の宗教戦争の様相を呈しました。
しかし、ハプスブルク家がドイツ全域に手を伸ばしプロテスタントの弾圧と強圧的なカトリック化政策を断行したことでスエーデン、デンマーク、イングランドがハプスブルク家に干渉し敵対するようになりました。
フランスのブルボン王家はハプスブルク家に対抗する立場であり、最初からプロテスタント側に加担することになりました。隣国のスペイン王家もハプスブルク家であり、ドイツを皇帝側にとられると身動きできなくなる危険性を強く受け止めたのです。

三十年戦争は、その初めは宗教闘争の形で推移しましたが、次第に大国間の権力闘争の側面が強く展開されるようになっていく特徴があります。

7年戦争(1576-1763年)はオーストリアのハプスブルク家の女帝マリア・テレジアが、オ-ストリア継承戦争で失ったハプスブルク領シュレージェンがプロイセンへ帰属させられたことを不服として失地回復を狙い、戦争を仕掛けようと画策したことが契機となりました。これを事前に察知したプロイセン王フレードリッヒ2世がイギリスと同盟を結んでオーストリアに先制攻撃を仕掛けたことで勃発した国際戦争です。
オーストリアはロシア、フランスと同盟を結びこれに対抗しました。、劣勢にあったプロイセンが、オーストリア・ロシア連合軍の戦術の不備をついてブランデンブルグの奇跡といわれる戦いに於いて勝利し、大勢が決まりました。

この7年戦争の特徴は、海外の植民地をも含む国際戦争に発展したことです。このとき、イギリスは制海権を握り、フランスが植民地に増援部隊を送れなくして、北米(アメリカ・カナダ)やインドの植民地に既得権益を拡大することができました。

これらの国際紛争が終結することにより、今日のヨーロッパの国境線が画定され、社会秩序の安定に寄与することになりました。ヨーロッパ諸国の現在の国境線はこの国際紛争の終結によって定まり、現在のヨーロッパ諸国の社会秩序を形成することになったのです。

強力な王権の誕生は、やがて植民地政策を生み、これを強力に推進する原動力となるものでした。
王権はローマ教皇や教会の権威から自らを開放する権力を手中にし、このような時代背景のもとで、国内の不況を解決する手法の一環として海外進出(交易)と植民地の獲得を目的とする「大航海時代」が急速に広がっていきました。

当時、ヨーロッパではアジアとの東西交易が盛んになり、金や香辛料(コショウ・シナモン・ナツメグ・クローブなど)が高値で取引される人気商品でした。香辛料はハム・ソーセージ・塩漬け肉などの貴重な保存食の加工になくてはならない必需品でした。その栽培の生産地はインド西海岸、東南アジアでしたが、ムスリム商人の手で陸路で取引されていました。

しかし、15世紀の初頭頃からオスマン帝国が黒海や東地中海を支配するようになると香辛料の税率が一気に引き上げられ香辛料の値段が8倍に高騰したため、ヨーロッパ諸国は産地との直接取引を実現することを強く望みました。

新たな交易路の開拓はキリスト教の海外布教と香辛料の直接取引に一石二鳥の大きな転換点をもたらしました。造船技術の進歩にともなって快速帆船の建造ができるようになったことや羅針盤の改良、天体観測の進歩が遠洋航海を可能なものとしました。
香辛料の直接取引で得た利益は、航海に要した費用の60倍の利益をもたらしたので、強力な王権の庇護の下に夢と野心を求める冒険家が集められ、大航海時代が一気に加速する時代背景になりました。

戦争と平和は表裏一体のものです。戦争は領土の拡大や資源の獲得など人間のエゴと欲に加えて国家のプライドや民族主義、また、宗教の違いが複雑にからんで発生してきました。平和は人々の願いだけで実現できた歴史はありません。人間が持つ諸悪の根源である「欲」を抱えたまま、何もしないで自然に平和が実現できた歴史はありません。平和は悲惨な戦争の果てに、その反省や代償として、あるいは争いの一時停止の状態に現れる頼りない不安定な社会的な状態であったと考えられます。

欧米の大国の中には、武力を放棄することで戦争を回避できると考える国は皆無です。自国が武力放棄すれば、他国の欲望を実現させることになる、そのような結果を招くだけだと考えるからです。 自国が他国の武力を排除できる実力を示すことで、他国の侵略の意図や欲望を阻止できると考えるているのです。また、もし平和の為にはやまって武力を放棄すれば、緊急事態になったとき自国の防衛が不能になり国民の生命財産が守れないという警戒感が強いのです。

高い質的レベルをもった軍事力は、継続的な投資と組織的な訓練によって維持できる性質のものです。いざとなってから、必要性を痛感しても間に合いません。実際に出番がなくとも、最悪の事態に備えなければならないものが質の高い軍事力です。軍事力は国民の生命財産や民族の滅亡を防衛する社会防衛上の必要悪なのです。対立する相手を思い止まらせる最後の砦なのです。

軍事力の整備=戦争賛歌もしくは戦争に巻き込まれる、などという戦後の日本に蔓延した幼児性の思想は欧米の諸国家には理解されません。軍事力を放棄するほうが遥かに高い干渉や侮り、挑発や侵略を招く危険性が高くなるからです。ヨーロッパ諸国は、バイキングの故事から多くを学習した国が主流なのです。何が欠ければ、国益が守れないのかを知悉しているのです。憲法の縛りを受け続ける日本の外交官は、無気力で無能としか評価されません。相手を説得できる力が全くないからです。外国に多額の援助金を出し続けても日本の国益には全く貢献できていません。国民の血税を浪費してきただけです。

外交による平和的な手段によって国際紛争を解決できるという考え方があります。正しい意見だと思います。ではなぜ欧米諸国は、国家の負担になる軍隊を廃止できないのでしょうか。簡単にいえば、大多数の人々は、外交が道理によって決定つけられると考えていないからです。道理には普遍性がありますが、不満を持つ相手を従わせるためには、これが保証、担保できる執行力が必要です。どのような論理性の高い解決方法であっても、それを実現する力がなければ、絵に描いた餅です。

外交の実態は、背後に軍事力が睨みを利かせて見守ることによって効果を発揮できます。端的に言えば、軍事力(国家の力=民力、経済力、政治力の総和)の支えがない外交は無力で説得力(相手を従わせる)がないのです。価値観や歴史観が違う国家間(例えば、日本と中国、韓国、北朝鮮、ロシアなどの関係)の外交では、道理や話し合いによる説得は不可能です。また、軍事力で威圧されて劣勢に置かれながら、道理によって相手を屈服させることも不可能です。他国の国益を道理によって放棄させることは不可能です。

軍事力と外交力が劣勢でも屈しない例外は、宗教的な情熱を爆発させることができるイスラム教の狂信者だけです。ただし、国の正常な発展は望むべきもなく、厳しい混乱の中で孤立を深めるだけです。将来展望は全くありません。

欧米や中国、ロシアなどでは、経済的な負担の軽減を意図して十分な防衛力を備えないまま、他国と国際条約(軍事同盟)を結んで自国を防衛できると考える政治家はいません。自国の存亡や自国民の生命を賭けてまで他国を防衛しようとする国があるなどという幻想を信じていないのです。他国の武力をあてにして自国の防衛政策を決める無責任な政治家はいません。平和は自力救済でしか実現できないことを歴史事実の経験則として学習しているのです。

戦争の果てに実現したエポックとしての平和、これが現在の世界情勢ですが、このまま平和が安定していくことを祈りたい気持です。