(46)仏教(密教)と異宗教

宗教の発生や生い立ちは実に様々である。
一個人の神聖によって成立した(仏教など)もの、神の啓示によって生まれた宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など)、自然界の様々な現象に神性を認めて成立した宗教(神道)、教祖は存在しないが長い年月をかけてインドに自然発生した民族宗教(ヒンドゥ教)、中国特有の儒経・道教などがそれぞれ特有の生い立ちを持つ宗教である。
世界には、民族の数や国家の数と比較しても数倍ともいえる様々な宗教が存在していることが周知の事実であると認識されている。

宗教は個人や部族、民族の精神世界の価値観や傾向性に裏付けられた伝統性を背景にしている特性があり、一般的には異宗教間の協調性は低いと考えられている。
自宗教が他宗教より優れていると考えることがあっても、他宗教より劣っていると考えることはない。
こういう意味では、どの宗教であっても主観的な価値観に覆われていて、客観性の視点を意識して所持する姿勢に欠けていると考えられ、異宗教間の対話の困難さは実は宗教の本質的な特性であると考えられる。

このような特徴は一神教に強く現われる。
一神教には、意識の上で常に精神世界の中心に存在し続けようとする性格や習性があり、異宗教を上から目線で見下ろしている傾向性が強く現われている。
一神教と一神教の争いには解決方法がなく、紛争の長期化と泥沼化という問題が発生する特徴がある。

歴史的な事実をみれば、キリスト教徒とイスラム教徒の紛争には終わりが無い、という哀しい現実があることが世界中に知られ、今後の見通しは全く立たない状況にある。

宗教の特徴は、自らの正統性を主張して異宗教より優位性があるという妄想を持ち、これにこだわって決して譲らないところにある。もし、異宗教より劣っていると考えれば自己の存在理由を失うからである。

異宗教より優位性にあると考える宗教思想を基盤とする人間が世界的視野に立って世界平和のリーダーになる役割を期待することは困難である。
一つの宗教の強い影響を受け、一つの基盤に立つ価値観を押し付ける行為が他の異教徒の信頼を得られないのは自明の理である。

国際化(internationalization)の時代になると、世界の多数の国家が、国家と国家の間に生じる現象や諸問題が表面化した。多くの場合、古代より国家間の紛争は戦争という乱暴な手段で解決が図られてきたが、紛争の連鎖と拡大を引き起こし、深刻な民族間の対立と他国を巻き込む緊張関係を作り出してきた(イスラエル vs パレスチナ諸国)。

紛争の当事国だけで国家間の諸問題の解決を図ることは困難であり、武力行使は国家間の問題解決の有効な手段ではなくなってきたことが近年の特徴である。

紛争の主原因は宗教の違いによる民族間紛争、資源や領土の奪い合いなどにあると考えられている。
巨大な軍事力を持つアメリカ合衆国やロシアでさえ、国際紛争を軍事介入で解決できると考えなくなったのはグロバリゼーション(globalization)という近年の地球規模の平和を考える潮流にみられる。

宗教や思想もグロバリゼーションという地球規模の価値観を意識しなければ存在し続けることが難しい状況になってきている。
国家の持つ軍事力、外交力、貿易力(資源)の実力を発揮して強引に押し切ってきた独善的な国際紛争の解決手法は他国の信頼が得られない傾向が見えてきている。国際政治のグロバリゼーション化の方向が始まっているのは間違いない事実といえるのではないか。

空海の真言密教の特徴は、宇宙の森羅万象があるがままに存在する法則そのものを本体とする仏教思想であり、様々な仏の分身が活躍する多神教の性格を濃厚に持っている。

空海密教には、一般的には次のようの特徴が上げられている。
①密教は全体的な視野に立つ思想である。
②密教は多元的な価値観を持つ.。
③密教は行動を重視する。
④密教は欲望を積極的に活用する原理を持つ。
密教は存在するものに何らかの価値を認める多元的な価値観を持ち弱者にも温かい特質をもっている。
真言密教には異教徒の神々の機能を分別して包摂し、それぞれの神が持つ特性が最大限に発揮できるように構成されたマンダラの思想がある。

世界に占める宗教勢力を視点にすれば、仏教徒にはキリスト教徒とイスラム教徒の紛争の仲介をする実力は無いが、密教の持つ包容力と多元的価値観には一神教と一神教の対立を包摂し新たな信頼関係を止揚する働きが可能であると考えることができるのではないか。