(41)-2浄土宗系②(念仏の救済思想)

宗教が急速に広まる社会現象にはいくつかの社会条件が背景にあります。
いわゆる、災害、大地震などの天変地異、戦争・動乱で大勢の死者がでる、凶作、物価の急上昇、生活苦、価値観の喪失または崩壊などです。
人心が荒廃し政治が信頼できなくなると人々は身心の救済を宗教に求めるようになります。

浄土教には「厭離穢土、欣求浄土」の思想的背景があります。
実は、徳川家康が三河の領主として独り立ちを始めた頃、浄土宗寺院と争い、家臣の相当数が寺院の味方に付いて家康に叛旗を翻して謀反を起こすという事態に至りました。

家康の家臣団は主家思いの者が多く、忍耐強い団結力が有りました。これらの家臣たちが主家に弓弾くことなど考えなかった家康は窮地に陥りました。
家康を見限った理由は、主人に背く背信よりも阿弥陀如来に背く不信の方が恐ろしかったからですが、戦場の死よりも地獄行きの方が恐ろしいと受け止めたことは家康に大きな衝撃を与えました。

家康が浄土宗を認めて檀家となることで和解が整い無事に治まりましたが、この騒動は家康の生涯の反省となりました。これ以降、家康は、「厭離穢土、欣求浄土」の軍旗を作って本陣に立て、家臣団はこの旗の下で忠勤に励みました。
徳川家は治世の為に天台宗(上野・寛永寺)と浄土宗(芝・増上寺)の檀家となり、将軍、家族の遺骨を分散して菩提を弔わせました。

厭離穢土、欣求浄土の思想は、現世を苦界とみて離れ、浄土を願う思想です。人はただ生きているだけで何の楽しみもない状態にあることを嘆きとする人々の心を表現しています。

この思想は日本で変質し、ごく普通の人間は自力で解脱できる能力を欠いているので、劣悪な素質しか持ちえない民衆はいかにあがいたところで解脱し往生することができない、だから、自力を捨てて阿弥陀如来に浄土に救い取って貰うほかに道がないという他力本願が強調されました。

浄土教は、あわれな衆生を救いあげてくれるのは阿弥陀如来以外にない、と固く信じる宗旨です。
これほどまでに阿弥陀如来の誓願を便利に利用する宗旨は他に例がありません。
この考えは、明らかに釈迦仏教の教理とは相反する妄説と考えられます。
意思を持って信者の向上心(菩提心)を喪失させておきながら、成仏を願うことはまさに自己矛盾というほかありません。

法然は、末法に生まれ合わせた自分の存在を「罪悪深重の凡夫」と捉えました。末法意識は特に当時の知識人、支配層であった権門勢家の貴族層に浸透しました。

宇治平等院は栄耀栄華を極めた藤原道長が受けとめた末法の浄土思想の建造物として有名です。浄土を表現した壁一面の浄土世界に阿弥陀如来の来迎図が鮮やかに彩色されています。
臨終の間際に高僧に見送られ、阿弥陀如来の来迎を望み、それでも不安を感じて阿弥陀如来の手と自分の手を五色の蓮糸で結んで浄土に救い取られることを切に望み、極楽往生を願いながら冥土に旅立った姿と伝承されています。

浄土思想は、平安貴族の欲望の果てに花開いた極楽浄土の展開でもありました。現世の権力も栄耀栄華もあの世に持っていくことはできません。権力は己の栄耀栄華の永遠を願いますが、死後の世界も生前と同様に、むしろそれ以上に変わらぬ栄華を維持しようと心を砕きました。

浄土思想が平安貴族を魅了してやまなかった背景には、華麗な極楽浄土が、実は一握りの権力者の栄耀栄華を霊界の世界に持ち込もうとした欲が見えます。しかし、院政の失敗と貴族の没落が止まらず、政治の混迷の中から台頭した武士が権力を纂奪する時代を迎えることになります。末法思想の背景の一つです。

末法には、現世の悲惨な境遇は前世の報いとする「因果応報」の思想が蔓延しました。
この思想は農民などが飢餓、貧困、病気に苦しむのは前世の報いであると考えます。生き地獄に置かれた被差別民の存在は己の身から出た錆びという結論になります。あらゆる社会悪や矛盾、身分差別は前世の悪業という宿業によるもので自己責任の結果になります。
このような社会状況を背景にして念仏信仰が急速に広まったものと考えられます。

この宿業思想は、支配者にとても都合のよい考え方を提供しました。
らい病者が集落から追い出されて隔離され、特定の差別された職業の者を集落から排除する社会悪が発生しましたが、支配者はこれらの社会悪から目をそむけても痛みを感じる必要が無くなったのです。この思想は、いわゆる被差別民が必然的に発生する差別制度の温床になりました。

法然の『選択集』の思想的な背景は、『無量寿経』に、(末法になって)法滅尽の後、100年間(この経を)世間にとどめ置くとあることを絶対的な真実の預言として受け入れ、末法には『無量寿経』だけしか有効性がないと受け止めたことにあります。
この『選択集』は法然66才の時、外護者の九条兼実(五摂家)の懇請により撰述された書ですが、「称名念仏は仏の本願にかなう」とする唐僧・善導の著作『観経疏』の一文を根拠とするものでした。

念仏は全ての人々を極楽往生させる特効薬であると念仏僧が弘めたこと、また、これを聞いた人々が狂喜して受け入れたこと、このような信仰の在り方の連鎖が阿弥陀如来の仏力、法力を曲解するという途方もない新宗教を生み育てました。
臨終正念の場で念仏を唱えれば誰でも本当に極楽に掬い取られることができるのでしょうか。

人の臨終、いわゆる「お迎え」を考えるときに直面する課題は「譫妄(せんもう)」の問題です。
譫妄とは臨死期の精神錯乱状態をいいます。医学的には、認知機能の全般にでる意識障害といいますが、一般的には情動の不安定性、幻覚をともない、不適切な衝動、非合理的、暴力的行動をともなうものです。そのほとんどが急性で可逆的な精神疾患です。発生率は70~80%とされています。
その原因は個人によって千差万別ですが、医学的には酸素不足、内臓疾患による毒素の蓄積、脳の委縮や病変が考えられています。終末期の患者のほぼ70%が譫妄状態になるといいます。

譫妄の影響は、突然に暴れだす、凄まじい恐怖感に襲われる、または、とても楽しい気分になる、ことなどですが、譫妄状態の内実は外から見ても分からないことから周囲の人々に衝撃や不安感を抱かせます。四分の三以上の遺族が苦痛を感じる経験をしています。

法然の高弟、聖光(鎮西上人)が浄土宗の正当な教義に認定された『念仏名義集』の下巻に臨終行儀が記されています。
その中に「よくない様子の臨終では三悪趣(地獄道、餓鬼道、畜生道)に堕ちること必定」という記載があります。ここでは、臨終がどのような様子であろうと、みな極楽浄土へ往生できると主張する者がいるが、それはあきらかな間違いであるといっています。

医療の現場では、譫妄状態の対処を依頼された医師は、まず向精神薬を投与しますが、それでも効かない場合は麻酔を投与します。こうなると、患者は眠ったまま(意識のない状態)最後を迎えることになります。
このように臨終正念とは言葉だけの世界に漂っている不安定で切ないものに感じます。人は最後を迎えると「ありのままを受け入れる」淡々とした精神状態を作ることがほとんどの場合できません。譫妄を幻覚とみるか、または、宗教的な見地とみるかは本人の全人格的許容の問題です。他人は当事者になり替わることができません。

日蓮宗の身延山久遠寺の中興三師にあげられる日遠(1572-1642)が日蓮宗版の臨終行儀とされる『千代見草』に全39項目にわたって臨終の知見を書いていますが、そのうちの第27項目に「病人よはり、臨終ややちかくなりて、ゆめにもあらず、目のまへに、未来の有様をみることあり。」と記しています。
譫妄や「お迎え」を医学の立場から見るだけでなく宗教的な立ち場で見直して考えてみることも出来るのではないかと考えます。