(34)-3創価学会の研究③(池田大作を考える)

実は、池田会長(当時)は昭和52年の第9回経学部大会に於いて「仏教史観を語る」と題する特別講演で「出家(僧)も在家(信者)も同格」、「創価学会は在家・出家の両方に通じる役割を果たしているから供養を受ける資格がある」、「創価学会の会館や研修所は現代の寺院である」、「信心の血脈は創価学会に受け継がれている」と発言し、会員に衝撃と感銘を与えました。

このように会員の洗脳が行われて、昭和53年には三体(学会発表)の板本尊を模刻し開眼供養するという事実がありました。この事実は、宗門の影響下から意図して自立することを宣言したに等しいものと考えられる出来事でした。

これらの事柄が宗門から創価学会独立路線との批判を浴びることになり、この事態を改善するために2000人の学会幹部が総本山・富士大石寺にお詫び登山をして法主の面前で関係修復を図りました。池田は引責辞任のやむなきに至り名誉会長職に退きましたが、これを屈辱と受け止め巻き返しの機会を狙って学会組織の再編成に手をつけていくことになったといわれています。
引退は形式的なもので学会内で池田の地位を脅かす勢力は育たず、指導権は握ったままであったと云うことですが、この逆境を乗り越えた池田は更に徹底した指導体制の構築を目指しました。

学会の二世、三世の世代は、幼いころから各家庭で創価学会の教義の素晴らしさや池田の指導者としての素質を疑いないまでに刷り込まれました。
創価学園、創価大学の教育現場でも一貫教育システムによって筋金入りの池田チルドレンが純粋培養されました。池田を信じて疑わない幹部が養成され、創価学会幹部や公明党議員の多くを占めました。
池田の先見性と構想力、カリスマ性のある優れた指導力が創価学会を強力な組織に育て、池田門下生を育成し続け、強固な独裁体制を構築したと見られています。

2002年の会則の変更では、初代・牧口、二代・戸田、三代・池田の三代を「広宣流布実現への死身弘法の体現者」として「学会の永遠の指導者」と定めました。これは現在に生きている池田大作の絶対的な支配体制の確立に資する会則変更と考えられます。

創価学会の信仰の対象は「三大秘法の本尊」といわれ、日蓮の出世の本懐とされる「弘安二年(1279年)10月12日の本門戒壇の本尊」でした。
この本尊は日蓮正宗総本山・富士大石寺の奉安殿に安置された門外不出の本尊です。この①本尊と②血脈不法の法主(宗門)、③御書が信仰の本体ですが、創価学会は①と②を失い、③の精神の正統性が対外的に主張できなくなりました。

本尊を失った創価学会は、1993年、宗門を離脱した栃木県の浄圓寺が所蔵する大石寺26世法主・日寛が書写した本尊をコピーして会員に授与を開始してきました。この本尊の使用は宗門の許可が無く「ニセ本尊」として非難されています。新たな問題の発生です。

破門を契機として、1995年に「創価学会インターナショナ(会長:池田大作)」のSGI憲章を制定し、仏法の寛容の精神で他の宗教を尊重し人類の基本的問題を話し合う柔軟路線を採用し、宗門の理念と異なる現実路線への転換を図りました。

創価学会インターナショナル(SGI)は創価学会と共に1991年に宗門から破門されていますが、創価学会と各国の創価学会組織を傘下に収める上部組織として使えることから柔軟性路線を明確にしたのです。

SGIは、創価学会と世界192の国と地域に組織された国外の創価学会組織を傘下に収める上部組織ですが、海外組織は微力弱小であり、実体は創価学会そのものです。

SGIは日蓮正宗や法華講の傘下に入るものではありません。池田大作はSGI会長の立場で創価学会に君臨する根拠が確立されました。創価学会がSGI会長の指揮下に置かれることは、SGIと創価学会(会長:原田稔は池田SGI会長の弟子)が二重構造となり、池田会長の指導体制を承認するということを意味します。
現在の創価学会は何宗なのか解からない状態ですが、一般会員には危機感が欠落しています。

創価学会は宗門の指導力を否定し、絶縁することを対外的に明白にしたものと考えられます。創価学会は会員の葬儀は「学会葬」「友人葬」「同志葬」などとして執り行い日蓮正宗僧侶の関与を否定しました。
その理由に僧侶はもともと葬儀に関与する役割を持っていなかったという借論を便利に利用していますが、実体は宗門・寺院を兵糧攻めにする作戦の一環と見られています。

宗門との戦いに負ければ創価学会は空中分解で消滅してしまいます。
戦える組織の再構築を入念に画策し、勝利の戦略とシナリオを様々な角度から用意周到に練って何度もシュミレーションをしたものと考えられます。

本気で宗門と戦い、宗門に勝とうとする信者はいません。こういう意味では創価学会は信徒団体とはいえません。
本山の権威を認める信徒が創価学会の指揮をとっていたら、到底、宗門には勝てるはずがありません。宗門の権威に怯む精神的な心の弱さがあれば戦は起こらず、白旗を掲げる戦意喪失に追いやられたに違いありません。

こういう意味では、池田は宗門の権威を認めていなかった人であることを自ら立証したことになります。喧嘩の勝負感覚が鋭敏であり、卓越した先見性と優れた指導力が認められます。
だからこそ宗門が予想しなかった全面戦争を躊躇なく正面から仕掛けることができたのではないかと考えられます。

池田は創価学会が社会の認知を受けるようになると、意のままにならなず頭上の重しとなった宗門からの自立を画策して準備を整え、自立の時期を見計らって大義名分のきっかけを待っていたのではないかと見られています。何も知らない学会員にはこれらの諸事情は伏せられました。

無残にも、ほとんどの学会員は上層部の一方的な情報を刷り込まれて、何の疑いもなく創価学会の強烈な組織防衛の危機意識を持たされ、抱え込まれて、組織のうねりの中に飲み込まれてしまいました。
会員の意識操作に機関紙の聖教新聞や大百蓮華など学会系の書籍を総動員して連日大活躍をさせましたが、この中で宗門を日顕宗と決めつけて管長を貶め、創価学会・池田大作氏の正当性を徹底的に刷り込みました。

大多数の学会員は、向上心を持ち、地域社会と共同して世の中を明るい社会にしたいと考えている人々です。一人一人はとても真面目で不正に加担する人々ではありません。
創価学会の上層部・指導者は会員の信心向上のために、手弁当で日夜に奮迅の努力をしていると信じている人々です。活動的な会員は学会の指導で共に助け合って信心に励み、積極的に生きる人生を楽しみたいと考えている人々です。

理解することに戸惑う不思議な現象は、客観的に見れば、学会の活動家は選挙のたびに手弁当で票集めに駆り出されて奔走し、質素倹約で貯めた貯金を毎年の財務(任意の寄付行為という名目)で吸い取られ、毎月の聖教新聞の啓蒙ノルマを達成するために自己負担し、けなげな信仰心を慰め、自己満足を言い聞かせている姿にはまっとうな信仰ではないとの疑いが禁じえません。

創価学会の財務の実態は、平成9年12月1日付けの聖教新聞に「広宣流布への供養に無上の福徳」と題する池田会長のプロパガンダが掲載されています。
「故に、厳しい不況化で真心の財務に取り組んでくださる広布部員(財務部員)の皆様の功徳は計り知れない。池田名誉会長は同志に語った。『妙法のため、広宣流布のために真心を尽くすことが、どれだけ尊いことか。どれほど偉大な功徳があるか。大変な時に護られる。一家も栄える。人間革命していける。生々世々、そして子孫末代まで豊かな福徳に包まれていくことは間違いない。それこそ、世界一の王者のごとき境涯になれるのである』と」

創価学会の県・圏組織の幹部から支部・地区の幹部には次のような指導が行われました。(「創価学会の財務について」内部告発のネット情報を引用します)
「地区幹部は少なくとも10万円以上すべきである。そうしない幹部は個人指導せよ。現在持っている預貯金全部を出すのは当たり前だ。それにどれ程上乗せするかが信心の戦いだ。」
「各支部で10万円以上出す人を30人以上作れ。一口二口(一口=1万円)しか出さない人は信心がない証拠だ。支部内で100万円以上の大口を何人作るかが支部長、婦人部長の戦いだ。個人指導、家庭指導で三口以下の財務部員がいないようにする。」などです。

ここでは、「財務にしっかり頑張らないと福運が消えますよ」「宿命転換したかったら、ここで財務をうんと頑張るのよ」「財務に精一杯頑張って福運をつけて幸せになりましょう」「いま、財務に頑張る人が時に適う信心であり大功労者であり、大福運を付けます」「財務にケチケチしているからいつまでも生活が苦しいのだ、ここで思い切って財務の口数をふやし貧乏と別れるのだ」という概要です。
これらの内容は、心理強制や圧力でしかないものです。不幸になったり、もっと貧乏になったりして家庭不和を引き起こすことは目に見えています。

ジャーナリストの段勲は、「宗教と社会の関係を考えるFORUM21(2002.11.1)」で「財務」について次のように述べています。
「会員から集める側に立つ幹部たちの姿勢は、財務を御供養と断定して、例年、少しでも多くの金額をと奔走している。会員にたくさんの功徳を受けさせようとする慈悲の発想なのか。それともまた、ほかの理由でもあるのか。手元にこんな資料がある。コード番号、組織名、氏名、役職名、職業が明記された横に、各納金者の金額数字が並ぶ。中略、10万円、20万円、50万円、100万円、千万円、2千万円という巨額な金額のオンパレードだ。
これは最近年の財務で、某県内にある一組織所属の学会員たちが納金した金額の一部である。金持ちだけの学会員を特別に選択して紹介したわけではない。地方の県内にあるごく普通の一学会組織に所属する会員たちの財務納金額である。
中略、財務納金の指導での最高幹部の指導(録音テープ)でも「広宣流布には金がかかるんです。金を出せ、出せ、」と声を張り上げているが、『創価学会 財務部の内幕』(小学館)には、「都市銀行を中心に学会関係の口座には約1兆円の巨額な現金が眠っている」と驚愕の記載がある。」

何故にこれほどまでに自己犠牲を忍耐しなければならないのか分かりません。便利な集票マシーンとして駆使され、便利な集金マシーンとなって金のなる木に育てられ、甘い毒語を埋め込んだプロパガンダ専用の聖教新聞の部数増大のために無料奉仕の拡張員として使われ、揚句にノルマが達成できなければ自己負担してでも数合わせをすることに何の意味があるのでしょうか。

女王様のために死ぬまで奉仕活動をする働きアリや働き蜂のように見えます。創価学会の女王蜂は一体誰だ、といいたくなる瞬間はないのでしょうか。このまま継続し続けても、罪障消滅、所願成就のための信心の姿勢とはいえません。
このような滅私奉公は正しい信仰のあるべき姿とはいえません。何故、このような報われるはずのない信仰心を持つのでしょうか。

宗門が創価学会や池田大作ほかの上層部の大幹部を破門したことが許せない暴挙だと考えるのは、一方的な情報の刷り込みだけでなく、強い連帯感を持っているからだと考えられます。また、宗門が人と人の信頼関係を構築することなく、宗門の権威をかさにきて信者を見下していると受け取られてきたからだと考えられます。

創価学会には強い自負心があります。宗門が豊かになり隆盛したのは創価学会の果敢な折伏による信者の飛躍的な増大と多数の寺院を建立し寄付した創価学会のおかげだという自負です。宗門にはその感謝の気持ちが薄すぎるという不満です。
布施や寄付に見返りを求めるのは正しい信心ではないと知ってはいても強い不満が出るのはそれだけの理由があったのでしょう。
結果から判断すれば、宗門の信頼関係は創価学会の人間関係より劣っていたのです。

このような創価学会の信心の血脈や人間関係の中で、学会員が宗門の指導を有難く受けるという状況は生まれません。
信心の現世利益や信心指導を通じて人間関係や信頼関係を築いてきたのは創価学会という組織体だったのです。池田大作の指導は絶大な効果をもたらしていたのです。この事実が分からないほど宗門は日蓮の血脈の上で胡坐をかき権威化していたのでしょうか。