(34)-2創価学会の研究②(宗門との対立抗争)

創価学会は卓越した独自の戦闘力を持つ新興宗教団体です。
戦国時代の一向宗(現・浄土真宗)の存在感を彷彿させる多様な実力を持っています。数百万の会員を見事にコントロールできる一人のカリスマが執行部を完全に掌握して自在に動かすことができる宗教団体です。

創価学会の存亡を左右すると見られた宗門(日蓮正宗・大石寺)との抗争では、池田の卓越した指導力を受けて、全国的規模の各種会合を徹底した露骨な宗門・管長批判を継続して無垢な会員を洗脳したと事情通から見られています。
宗門が問題としたのは、本質的には池田大作個人の資質を疑問視する問責でしたが、創価学会は池田個人の問責を創価学会全体の誹謗中傷の問題にすり替えて、事情を知らない(知ろうとしない)会員を組織的に抱き込んで反目させ、寺院から引き離す抗争に持ち込んだと見られています。

池田は学会幹部を総動員して、創価学会の実績や正当性を会員の情念に訴えて池田大作への同情と宗門、特に法主・阿部日顕管長への反抗心を執拗に徹底して煽ったと見られています。
これを「広布の推進」という大義名分によって行われたことは、問題の本質を隠蔽するものであったと疑いの目や批判の目を多数作ったことになります。

圧倒的に不利な状態を執拗なプロパガンダ戦法でひっくり返した池田氏の戦術や実行力は、恐るべきものでしたが、創価学会員がいとも簡単に情報操作されてしまったことで世間の事情通を唸らせ新たな疑念を抱かせる要因になりました。
これによって、宗門の池田大作破門作戦は失敗しましたが、同時に、創価学会は仏をも騙す自己中心の新興宗教団体の体質を濃厚に持つことが知られてしまいました。

宗門の創価学会に対する指導権は失墜し、期待した池田批判勢力は徹底的に抑え込まれ、池田批判勢力は逼塞させられました。
宗門の意図は学会員に理解されず、池田氏の会員抱え込み作戦が功を奏しました。この在り様を興味津々で見つめていた事情通は、この前代未聞のプロパガンダ大作戦に驚き、学会の戦闘力に恐れを感じたといいます。

日蓮正宗では、信仰の上では血脈相承を拠りどころにする管長の宗門支配権は並ぶ者がない絶対的権力を認めてきた宗史を持つところから、管長に対抗する信徒が出てくることなど考えられないことだと信じられてきました。ところが、池田大作は自らカリスマとなって学会本部職員を締め付けることで、地方幹部の疑いと不安を抑え込み、聖教新聞など多数の媒体を総動員して執拗に宗門批判を展開し会員を宗門から引き離しました。
創価学会は活動会員の動揺を抑え込み作戦に成功し、宗門の分断作戦を粉砕して勝ちを収めました。前代未聞の下剋上の勝利でした。
これで、創価学会の独立路線は既定方針として認知され、戦える巨大な宗教組織に変貌をとげましたが、宗門の血脈を否定したことで、教義的には前途多難な迷走を繰り返すことになる因縁を背負うことになりました。

法華講と創価学会は、破門事件を契機に、揺れ動く創価学会員・信徒の奪い合いが活発化し互いに相手を攻撃しあう交戦状態にあります。
しかし、日蓮本仏論という同一の教義を持ち外見上の見分けがつかないところから、双方が空虚な正当性を主張し合うという醜い争いを続けるほかなく、簡単には妥協点が見いだせない難問を背負い込んだことになります。

この惨劇は、30万人前後(実数は不明)の法華講を抱える弱小教団が452万人(実数は不明・平成12年の文化庁統計)会員を抱え、公明党の大議員団(そのほとんどは創価学会員)を抱える巨大信徒団体の創価学会を破門するという前代未聞の出来事でした。これにより、結果的に日蓮正宗は元の弱小教団に逆戻りする道を選んだことになります。

この戦いはうんざりする泥試合といえます。池田側は、学会の組織防衛を強化するために、副会長職を100人未満にまで増員して上層部を腹心の池田支持勢力で固め、不満勢力の造反の芽を摘んで池田体制を再構築し絶対的な指導者の地位の安泰を図りました。
しかしこの事実は、責任役員を前代未聞の人数に水増しすることによって、陰で池田会長を引責辞任に追い込む多数派工作が仕掛けられないようにする露骨な防衛戦略であると見られています。

池田大作をどの様に見るかという興味深い問題があります。日蓮正宗の教義の上に成り立っている創価学会の強信者の中に池田大作を本尊にする「池田本仏論」が台頭しました。
この見解は最重要の教義よりも池田大作の存在観や業績を高く評価することに何らの問題や疑問を感じない人々の立ち位置から見た見解ですが、これと同様の考えを持つ会員の数は決して少なくないと見られています。このような現象の表れは、創価学会の本質が仏教教団ではないことを自白するものであると考えられます。

創価学会の異質性は、日蓮本仏論に憑依された一般信者の中から、宗門の血脈と正当性を否定する「池田大作・本仏論」が出てきたことにあります。
日蓮本仏論を基準にする異様な教義を刷り込まれ、日蓮思想に憑依された段階までは、いわゆるマインドコントロールの被害者とも考えられる余地がありましたが、会員自身が積極的に「池田本仏論」に対峙した上で、自らの意思を持って強く望んで「池田本仏論」を受け入れた段階になれば、同情の余地も、弁解の余地もないと考えられます。

いま、創価学会員は、その自覚があるかどうかにかかわらず、どんな詭弁に癒されようと日蓮の信者の立場を捨てたことになります。
「池田大作本仏論」にはそのような覚悟がいるのです。一人一人の会員が善良な信心の故に過失で犯した軽い罪であるという位置付けにあるものではない、と考えます。

池田本仏論は池田本人によって聖教新聞の紙上で「私などを絶対視してはいけない」と消極的に否定のポーズを表明しましたが、この池田の言葉には将来にわたって絶対に許さないという強い否定が感じられません。池田が自ら望み会員の支持が得られることを望んでいた形跡があるところから、まんざらでもない気持ちが完全に抑制できず、仕方なく、いやいやながら、という消極的な印象を与えています。

これは、信奉者の過激な行動が表面化し、社会問題を含む重大な事件化の恐れがあったところから、とりあえず一時的に沈静化させようとの意図でなされたと考えられます。
池田本仏論の根は深く、宗門との関係性においては将来の含みを残した対応ではないかと考えられる疑わしい点もあります。
冗談や笑い話で済まされないのが池田体制下の創価学会の体質だと見られています。

創価学会の会員の宗教観を形成する教宣の月刊機関誌は『大白蓮華』です。法華講の講員の教宣の月刊機関誌は『大白法』ですが、いずれも信者向けのプロパガンダ専門の機関紙です。
法華講の主な活動家は元創価学会員から離脱した転向者が主力になっています。古くからの檀家であった講員の大半は関心が低く行動力が無いので活動家に育つ人材は少ないと見られています。

創価学会の存在は、もはや日蓮正宗・宗務院や僧侶が指導して従わせることができる従順な団体ではありません。今や日本のあらゆる分野に影響力を与える社会的な存在といえます。
この教団がどの様な道を選択するのか多数の国民が興味津津の眼で見ています。
人々に受け入れられない最大の理由は、妄想としか言いようのない宗教観や異様な教義にあると考えられています。
このような教義と別れられるかどうかによって、創価学会の存在意義も自ずから定まるものと思います。しかし、一人の独裁権力者が創価学会を支配している事実が世間に明らかになれば、社会の厳正な批判に耐えなければなりません。

日蓮の教学を唯一の正統な仏教だと信じる狂信者に、仏教とは何か、など語る適格性があるとは思いませんが、何故このような狂信者が育ってしまうのか不思議です。
過去の権力者や為政者が日蓮信者と一向宗徒には散々苦労をした歴史がありますが、権力者の恣意を批判するだけでは問題の解決が見えないことが分かってきました。

実は、狂信者の体質には宗教的な集団活動の中で平衡感覚を失う傾向性が強く現われることです。教祖や指導者の言葉が、思い込みや錯誤、無知、勢いや情熱が沸騰する集団心理の中で過剰反応して受け取られてきた結果、反社会性のある活動や行為が見えなくなる傾向性が定着して信者の心を蝕んできたのではないかと考えさせられます。

宗門(日蓮正宗・大石寺)と創価学会の抗争は、池田大作の宗門乗っ取りの野望から始まったものだと事情通の人々は考えています。
これを分かり易くいえば、創価学会の急速な膨張と宗門への著しい供養の実績に慢心した池田大作が宗門を支配下に置く戦略を画策したことから始まったものです。
宗門と創価学会の抗争は池田大作一人の野望から始まったという数々の内部告発があります。

池田は、学会の最高幹部を絶対的な権力で支配して、学会内の反対勢力を次々に潰していきました。(山崎顧問弁護士、竹入公明党元委員長、同矢野元書記長、原島元教学部長、など多数)
次に、座談会、幹部会、講演スピーチ、聖教新聞、各種の雑誌を総動員して、おひとよしの創価学会員の信仰姿勢を宗門から引き離すキャンペーンを徹底して展開しました。

内部告発者は異口同音に言っています。池田の異常な権力欲が代三代会長職を強奪し、傲慢な池田が若くして巨大過ぎる権力を握ったことで創価学会を終身支配する野望を育て、宗門の乗っ取りを本気で画策したことが諸悪の根源にあると。

池田は、あらゆる機会をとらえて、会長と創価学会員は「師弟関係」にあることを繰り返し強調し、小説・人間革命で麗しい架空の師弟(戸田城聖と池田)関係を学ばせ、池田の指導者としての正当性とカリスマ性を善良な一般会員に組織的に植えつけました。
池田自身を信仰の、また、人生の師匠とする情操コントロールを繰り返して実行し、お人よしの創価学会員を心服させてきました。

池田の権力のバックボーンは、池田を創価学会躍進の功労者として位置づけ、また、人生の偉大な師匠とするプロパガンダを徹底して演出して、並ぶ者なき絶対的なカリスマ性を確立したことです。こうして、池田は創価学会の中で宗門のカリスマである管長を凌ぐ人気と信頼性を確立し対抗力を得たことになります。
池田のカリスマ性は池田の黒い意図で作られた虚構です。

池田大作は、36歳で代三代会長就任後、宗門の藤井日達管長を学会本部に呼びつけ露骨な恫喝を行いました。
この経緯は、管長が学会の顧問弁護士・山崎正友に語ったものです。「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられてドヤシつけられなくてはならないのか、後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」(懺悔の告発・山崎正友/日新報道1994)

昭和40年、創価学会が正本堂建立の御供養金350億円余りを集め、その直後に都内品川区の妙光寺のおいて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った、事実がありました。
その責任を取らされて、日蓮正宗総監が更迭され、日蓮正宗は以後、池田大作を法主の隣に、法主と同じ待遇で座らせることなどを決めて“院達”として公布しました。(懺悔の告発・山崎正友/日新報道1994)

池田は、創価学会の数と資金力で宗門支配が可能と妄想し続けてきたと考えられていますが、正式な僧侶でもない池田が宗門を支配することは不可能です。
そこで、資金力で押さえつけ、宗門は儀式をつかさどる「典礼部」に格下げすれば、創価学会の支配下に置けると考えたといわれています。
しかし、宗門が池田大作を破門するという手段をとったことから、創価学会員を宗門から引き離す戦略をとったと見られています。

この対立抗争は、池田大作が保身のために創価学会員全体を池田の賛同者に仕立て上げて独立路線を突き進んだものと考えられます。